「図書館的人生 vol.4 襲ってくるもの」イキウメ

定期的にオムニバス演劇を上演してくれる、イキウメはほんにありがたい劇団ですじゃ。図書館的人生のシリーズ大好きです。

今回は3篇の短編作品で、1本目から順に年代が下がっていく。最初の「箱詰め男」、すべての記憶をデータにして…ってあたりで「ゾラ…」とか思ったウィンターソルジャー脳は俺だけでいい。どれだけその人物のすべてを移植しても、「人間らしさ」は欲望からくる、そしてのその欲望は感覚から生まれてくる、という展開、さらにその感覚に「嗅覚」を持ってくるうまさ。記憶ともっとも密接に結びつくと言われる嗅覚、香りを契機に、ふたをしたはずの思い出までは鮮明に、正確によみがえってきてしまう。

「忘れる」って人間に与えられた恩寵だと私は思っているんだけど、まさに「忘れられない」どころか「曖昧にもできない」恐怖が終盤舞台を覆う、その恐ろしさたるや。

2本目「ミッション」。今回の3本の中ではこれがいちばん面白かった。面白かったというか、身につまされる部分がひょいっと自分をかすめそうになる感覚があったというか。自分が抱く「衝動」に意味を見出す、意味を見出すということはイコール正当化するということでもあって、輝夫の言い分はグロテスクでさえあるのだけど、とはいえそのきっかけとなった出来事、入院中の母に対する「おやすみ」を言い損ねた日に母がこの世を去ってしまうという、そういったジンクスめいたものに縛られてしまう感覚って、きっと誰にでもある。だとしたら、その私たちと輝夫との境目はどこなのだ、と思うと苦しかった。なので、最後に佐久間に一刀両断されるところはどこかホッとした気持ちで観ていたなあ。

3本目「あやつり人間」。親の病気をきっかけに…という、感覚としてはまさに今ナウ自分たちの問題、というような物語なので、うまく突き放して見られなかったかもしれない。ただ見ている、ということは想像の上だけでもなかなか難しそうな気がする。とはいえ、「戦う」のではなく「仲直りする」という言葉にはふっと軽くなるものがあった。

3本を通じて時間軸は過去に戻るんだけれど、最後の話のしっぽをぐっと最初のはなしと繋げたような感覚があり、こういうのがオムニバス演劇の醍醐味よな~!と思ったりしました。あと時間が遡行していくので、あとから「何があったのか」ってのがわかるのもうまいですよね。フックの散りばめ方が相変わらず絶妙。

イキウメ役者陣がいい声揃いなのは自明の理なんですけど、今回千葉雅子さんが客演で加わってかなり芯になる存在感、すばらしかったです。田村健太郎さんの「いいやつ」と「うざいやつ」の隙間を駆け抜けていくような芝居もツボでした。来年は「獣の柱」再演だそうですよ~!