拝啓、中村勘三郎様

お元気ですか、なんて、変だけど、でもやっぱりお元気ですか。
あなたがいなくなって7回目の12月が来ようとしています。
今月と来月は歌舞伎座とそして平成中村座で、あなたの息子さんと、あなたの敬愛する役者さんたちが打ち揃って、あなたのいない7回目の季節を所縁の演目で偲んでいます。

先日、追善興行を前に盛大に行われたあなたの「偲ぶ会」に参加させていただきました。あまりにもたくさんの、そしてあまりにも華々しい(偲ぶ会なのに相応しい言葉ではないですがお許しください)場に、壁の花どころか床の染みのような気持でただひたすら佇んでいるだけでしたが、手持無沙汰のままぼうっと祭壇を見つめていると、ちょうど仁左衛門さまが献花をなさるところでした。手を合わせて、あなたの写真を見上げて、ずいぶんと長い間、あなたに語り掛けていらっしゃいましたね。何をお話されていたんでしょうか。去り際、ちいさくうんうんと頷いたあと、祭壇を背にし、ふと右手をあげひらひらと振り、あなたに別れの挨拶をされていました。なんともいえない光景でした。そういえば仁左衛門さまはあなたのいなくなった12月、南座で息子さんの襲名披露興行に列座されていて、その襲名になにかあってはいけないと楽日まで東京に戻らないと仰っていた、と当時荒井文扇堂の四代目の御主人がブログに書いてくださっていたこと、すっかりあの兄弟の親代わりのつもりなのよ…と仁左衛門さまの奥様が仰っていたことを思い出したりしました。そんな荒井文扇堂の御主人も、もうそちらにいってしまわれましたね。

あなたがいなくなった翌年の12月5日に、「思い出しては、いない、という石のような事実を積み上げていくような1年だった」と振り返っていました。今はどうだろう、よくわかりません。石を積み上げすぎて、向こうが見えなくなり、いない、ということも忘れそうな時もあります。そうしてあなたを近くに感じることもあれば、あんなにも鮮明に覚えていた、あなたの声や、表情や、舞台の上の迸るような情熱に、少しずつ薄い膜がかかり、だんだんと見えなくなっていくような気がすることもあります。

去年の夏には、私が観劇人生でこれほど念願した舞台はないといってもいいかもしれない、「贋作・桜の森の満開の下」の歌舞伎版が、盟友野田秀樹さんと、息子さんたちの手でとうとう実現しました。大袈裟でなく、ひとつの憑き物が落ちたような、願いすぎて、思いすぎて、自分でも身動きできなくなっていたものから、やっと解き放たれたような気さえしました。こうしてひとつひとつ、叶えられなかったことが叶ったり、あるいは諦めたりして、どんどん気が済んでいくことになるんでしょうか。薄れて、気が済んで、そして遠くになっていってしまうのでしょうか。でもそれもしょうがないのかもしれませんね。ひとはみな、忘れていきます。最後には。

私に歌舞伎の扉を開いてくださったのは、勘三郎さん、あなたでした。エレベーターに乗っていても、せっかちなあまりその扉を両手でこじあけようとするやつだ、と野田さんがかつて笑いながら話してくださったことがありましたが、あなたは歌舞伎というものの扉もそうやってぐいぐいとこじ開けて、こっちにきてごらん、すごいものがあるから、そうして手招いてくださった。あなたの真に偉大なところは、そうして間口を広げただけでなく、その世界にある深淵を、芸の真髄というものを、ちゃんと見せようとしてくださったことだった、と今にして思います。なぜならそれは、そうして間口を広げてはいってきた私たちにも、それを理解できると信頼してくださったからに他ならないからです。あなたは歌舞伎の力を信じていらした。これは決して限られたひとたちのものではないはずだ、その愛情と情熱が、たくさんの人間を揺り動かしました。わたしもそのひとりです。

あなたがいなくなって、私は自分が歌舞伎から足が遠のくのではないかと思っていたこともありました。けれど結局のところ、私はまだ歌舞伎を観に劇場に通い続けています。そしてそれは、あなたの歌舞伎への愛情と信頼がもたらしてくれた恩寵に違いありません。

7回目の冬が来ます。当たり前のことですが、あなたを観ていた時間よりも長く、あなたの息子さんを、勘九郎さんを、七之助さんを観ていくことになるわけです。ひとは好きになるから見るのではない、見るから好きになるのだ…というのは誰の言葉でしたでしょうか。そういう意味では、勘九郎さんや七之助さんに対する思いはどんどん深くなる一方ですし、なんだか「あなたに似ている」という言葉を口に出せなくなってきた自分もいます。私に残っているあなたの記憶も、どんどん新しい記憶に上書きされていくのかもしれません。喜びと切なさはほんとうはいつも背中合わせで、その背中合わせを味わうのは、傲慢な言い方をすれば生きているものの特権なのかもしれないですね。

けれど、薄れ、忘れていく時間がどれだけ積み重なっても、まったく自分の予期しないときに、あらゆるものにあなたの徴を読み取って、瞬間、あなたの思い出が炎のように吹き上がるような、そんな時間はきっとずっと先までなくならないんじゃないかという気もしています。

7回目の冬です。あれからいろんなことがありました。月並みな言い方をすれば、長くも短くも感じられる歳月でした。
私はまだ歌舞伎を観続けています。
どうかお元気で。
なんて、変だけど、でもやっぱり、どうか、お元気で。