言葉の泉に水路を繋ぐ

お正月の特番に「座・中村屋」という、勘九郎さんが藤原竜也さんと、七之助さんが宮藤官九郎さんと、そしてご兄弟そろって大竹しのぶさんと対談するという番組があった。勘九郎さんと藤原竜也さんのコンビが大好きなことで名高い私ホイホイのような番組であり、自分で企画書書いたのかなコレと思ってしまうほどであるが、期待にたがわずたいへんに楽しませて頂いた。基本的に好きなものを味なくなるまでしがむタイプのヲタですので、特に印象に残ったことを書いておきたい。

そもそも、勘九郎さんと藤原竜也さんが親交を深めたのは04年の大河ドラマ新選組!」がきっかけであることは皆さんご承知の通りです。藤堂平助沖田総司。ドラマの中でもニコイチになってることが多かったですものねふたり。しかし、勘九郎さんは竜也さんのことをずいぶん前から知っており「僕はね、ずっと彼のファンでいろんな舞台も見てたんですよ。でもこの人全然歌舞伎を見に来ないの(笑)」と語っていた。しかしその後竜也さんも歌舞伎に足を運んでくれるようになり、ようになりというか、私の知る限り大抵の勘九郎さんの公演を見に来られている(地方でも)。

ところで、竜也さんは以前は勘九郎さんのことを「勘ちゃん」と呼んでいたが、今は「勘九郎さん」となっている。以前スタジオパークに出演された時に、このことについて語っておられて、「新選組でぼくは一番の出会いっていうのは勘九郎さんでしたから。あの人と出会えたことによって自分の中でも大きく変わっていくものがあった」「この間六代目勘九郎の襲名興行を観に行ってきて、今まで勘ちゃん勘ちゃんって呼んでたけどもう勘ちゃんなんて呼べない、勘九郎さんて呼ばなきゃいけないような凄い俳優さんで、この人の方が常に僕の先を歩いているから僕は必死でついていける」というのがきっかけと思われるのだけど、でもたまーに勘ちゃん呼び、出ますね。正直ありがたみしかない。時折こぼれる親しげな呼び方に、ひとは萌える(真理)。

今回の番組で新選組!での共演当時の話があり、住んでいる家が近かった(坂の上と下)、撮影終わってメシ食ってふたりでNHKから歩いて帰って八百屋のベンチ(隣が餃子バー)に座って語り合ってましたね語ってる内容がフレッシュでしたねあの頃は夢がありましたね(今はないのかよ!)という私の心のツッコミなど入りつつ、そりゃ仲良くなるわけだねー!と改めて思った。以前「ろくでなし啄木」で共演したとき三谷さんが、新選組!山本耕史香取慎吾というコンビと藤原竜也中村勘九郎(当時は勘太郎)というコンビを生んだと書いてらしたけど、劇中での設定以上に近しい交流があってこその今なんだなと。

酔っぱらってやらかした話はたぶん枚挙にいとまがないふたりですが、お互い全裸で飲んでたのかとか(ばかだね〜)、竜也さんはあの!ハムレットの昼夜公演の前日に朝7時まで勘九郎さんと飲んでたとか(ばかだね〜)、その日のマチネを観に行く約束をしていた勘九郎さんは二日酔いでそれどころじゃない、なんだ金網のセットって…電流デスマッチかよ…とか思ってたらこのハムレットがとんでもなくて心の中が感動と謝罪でいっぱいだったとか(あのハムレットじゃそうなるよね〜)、ワインをたしなむ竜也さんに「俺はワインの味はわからない!」と無駄にえばりんぼな勘九郎さんとか、挙句「お前変わったな…」と嘆く勘九郎さんとか、ピッコロ大魔王というボケへのツッコミを待っている勘九郎さんとかいろいろあったけど、極めつけは「初めての生牡蠣に挑戦」する藤原竜也をただじっと見守ってるだけっていう…これ何の時間なの!?私が代わりに叫んじゃったよ。

勘九郎さんに竜也さんが「怪我なんて言ったら勘九郎さんの方こそ」と言ってくれてたり(ほんとそうだよね!もっと言ってやって!)「いやそれはあなたもじゃない」「僕は最近こなし方を覚えました」「やめなさいそういうこと言うのは」って流れるようなやりとり大好きだし、そのあと勘九郎さんに大河の話をふってくれて、「1年以上(歌舞伎を)あけるの?」「いやちょこちょこ」という返事まで引き出してくれているのでもう竜也さんを崇めるしかないかもしれない。

去年の春に竜也さんが入院していたのは全然知らなかった(大丈夫なのかよ〜)けど、その時のお見舞いエピソードを嬉々として喋るのが妙に早口でかつもはやテレビというよりその場にいる人にねえ聞いて聞いてー!なテンションだったのが激カワ案件すぎた。言ったよね真面目な番組だからよろしくねって…と言う勘九郎さんだがそれはおぬしも同罪じゃい!と思う私である。

しかし、確かに終始ワハハワハハとおばかちゃんでなかよしなふたりで、役者論!なんて大上段なものにはなりそうもなかったけれど、私がこのエントリを書きたくなった理由は最後の5分にある。8月、野田さんと組んだ「桜の森の満開の下」、体調や喉の調子があがらず苦しんでいた勘九郎さんは竜也さんに電話をかける。稽古にどう臨んでいるのか?いやそれは全力ですよ、竜也さんは答える。それでさ、勘九郎さんは続ける。

「話してくれたじゃない、自分のことも。それで、蜷川さんがおっしゃったんでしょ、声が枯れた状態でお見せするのは…」
「コンビニで不良品を売ってるようなものだ」
「…でもさ、その言葉をあなた、ずっと持って挑んでてさ、苦しくなかったの」

声が枯れた状態で客の前に立つのはコンビニで不良品を売ってるようなものだ。きびしい言葉だ。きびしい言葉だし、さすが蜷川幸雄だなとも思わせる。劇場に足を運ぶ観客というもの、その行為の重さから目を離さなかった創り手ならではの言葉だとおもう。

もし、これが普通のインタビュー番組だったら、蜷川さんのこの言葉に対するリアクションはもっと違ったものになっていただろう。すごいですね、さすがですね、きびしいですね…しかし、勘九郎さんがかけたのはそのどれでもない、「その言葉をずっと持って挑んできた」ことへの「苦しくなかったの」という言葉。これは同じ役者だから出た言葉だろうし、その言葉の重さを実感としてわかってるからこそ、そしてそれが同じ時代を一緒に歩む仲間だからこそ出た言葉だとおもう。

苦しいですよ、竜也さんは答える。そして、竜也、その役が出来ないんだったら手を上げて降りるのも才能だぜ、かつてそう竜也さんに告げた、偉大な演出家の言葉を続ける。

いま、苦しみからある種解放されて、演劇と純粋に向き合いたい、楽しみたいと思うんだけれども、そういう自分もいなくて、なんか変なことばっか考えて…というのはありますよね。蜷川さんが言ってた、ここまで私生活なげうって、ここまで削って演劇に向き合え、自分をもっと疑わないとだめだぜ、こんなんでいいのか、ずっとそう教育されてきて、そういう現場を今求めているのか、そういう人を求めているのかわからないけども、だから、すごく難しい、今は。

これはおそらく蜷川さんを喪ったあとの藤原竜也という役者の正直な心情で、そういう現場を求めているのか、そういう人を求めているのか…と、より自分を疑い、きびしい現場におくことで生まれるものがあるはずだと信じてここまできたひとりの才能ある役者からこぼれた言葉に、どうにも胸を打たれてしまった。

竜也さんからこの言葉を引き出したのは間違いなく、「苦しくなかったの」という勘九郎さんの言葉であり、ふたりとも、人生において指針ともいうべきひとを喪った今だからこそ、共鳴し合うものがあったのは間違いない。いずれにしても、あの言葉はあの瞬間、竜也さんの「言葉の泉」に水路をかけたのだ。

その後ふたりはまたいつもの顔になり、収録を終えた後も馴染みの店に突撃し、食べ、飲んで、ワハハワハハとおばかちゃんでなかよしなまま、夜の浅草に消えていっていた。

どっちも大好きな役者さんで、ふたりが仲良しで、お互いに敬意と愛情があり、常にどこか高いところへ挑んでいこうとするところを、これからもずっと観ていたいなとおもう。ずっと好きでいさせてね。2018年早々のお年玉、どうもありがとう。たいへんおいしくいただきました。