「二月大歌舞伎 夜の部」

当初は観劇スケジュールに組み込んでなかったんですが、初世尾上辰之助三十三回忌追善狂言ということで、これ以上ないという顔ぶれに演目。むりやりスケジュールを空けて夜の部を拝見してきました。

「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」。吉右衛門さんの熊谷直実を拝見するのはたしか2回目です。歌舞伎座新開場のときに相模が玉三郎さん、義経仁左衛門さんの顔合わせで拝見してます…って今書いててもビビる顔ぶれですね。さよなら公演と新開場のときちょっと御馳走が続きすぎてマヒしてた感じありますよね。

吉右衛門さんの舞台をそれほどたくさんは拝見していないんですが、この熊谷陣屋がいちばん好きかもしれない。やっぱり、役者としての器が破格に大きいので、その器に満々と情が湛えられている、それがあの「夢だ、夢だ」であふれてくる、そこまでの緊張感とカタルシスがやっぱりすごい。

たしか映画の「わが心の歌舞伎座」でも、吉右衛門さんのこの熊谷直実の引っ込みのところが選ばれていたように記憶しているんだけど、あの一瞬でこちらの感情を一気に高めてしまうあの力、ほんとなんなんでしょうね。

相模の魁春さん、弥陀六の歌六さん、藤の方に雀右衛門さん、義経には菊之助さんと文字通り役者が揃っていて最高級の一品、という感じでした。

「當年祝春駒」には曽我五郎で左近さんがご出演。曽我兄弟ものはこういう趣向の演目もああるんだなあ。

追善演目の「名月八幡祭」。尾上松緑さんご自身も以前思い入れのある作品とブログで書かれていて、しかも今回は美代吉に玉三郎さん、三次に仁左衛門さんが出演されるという。これはどーしても見ておきたかった!

田舎から出てきて堅実な商いで身を立てている商売人が芸者に入れあげ悲惨な末路をたどる…というと、かの「籠釣瓶花街酔醒」を彷彿とさせる筋書ですが、それだけ「よくある話」でもあったんでしょうなあ。籠釣瓶が大大大好きな私ですから、この演目は初見でしたけれども「好きに決まってるやん…」という感じだった。後味悪い終わり方が好きというわけではないんですけど(もちろん嫌いじゃない)ここまでいったら命とるしかねえだろ!というところまで人を描いているのに、最後だけ安易にハッピーに持っていくのが苦手っていうところの方が強い。

とはいえ、名月八幡祭のやるせなさは、たとえば籠釣瓶なら八ツ橋にも「実」があるわけですが、美代吉には新助に対する「実」はないのだね。それは、百両こしらえてやってきた新助に対する美代吉のこの台詞でわかる。「田舎のひととは口もきけやしないねえ」。美代吉や三次からしたら、この新助のマジ具合にシラけちゃった、てなもんである。片や文字通りすべてをなげうっているのにである。確かに悪気はない。悪人ではないかもしれない。でも正直、悪気があったほうがナンボかマシである。悪気はない。悪いことをしたとも思ってない。だから同じことを、なんどでもやる。

新助は新助で、いけないいけないとわかりつつ、ブレーキの効きの甘い人間だというのがよくわかるので、美代吉と新助はまあどうやってもうまくいくわけがない、というのが観客にはビシバシ伝わってくるところがまた、最後の悲劇を予感させてつらい気持ちになるところですね。あの殺しのあとの、小判に映る光で新助の顔が照らされるところ、ぞっとする美しさに満ちたいい場面。歌舞伎を観ていると本当に「殺し場の美学」というものを手を変え品を変え味わわせてくれるなーと思います。

玉さまの美代吉、文字通り絶品でした。美代吉は美代吉で空虚な部分もあるキャラクターだけど、そこに美しさを満々と注ぎこむ玉さまがすごい。ひとつひとつの所作、言葉遣い、この人にあんなこと言われたら全財産なげうつ、とも思うし、同時にあんなふうに裏切られたら、もう命のやりとりをするしかない、とも思わせる。また、その彼女の空虚さにうまいこともぐりこんだ三次の蛇のようないやらしさを、これでもか!とキメッキメで美しく見せる仁左衛門さまのすごさよ…。さいあくだ!と思うと同時にでも最高にうつくしい!とも思わせる、歌舞伎まじで奥が深すぎる。

松緑さんの新助、実直さももちろんですが、そのいちどタガが外れたらえらいことになりそう、な人間像が実を結んでいてよかった。うたた寝をする美代吉に自分の羽織をわざわざかけるところ、きゅんとくると同時に、彼の奥が見える場面でもあるよねえ。魚惣の歌六さんがこれまた絶品。歌六さんのあのうまさって…何!?もう、最近どんな演目で見ても「う、うまい…」しか言えない病気にかかっているおれだよ。藤岡の殿さまが梅玉さんなのも、これまた抜群の説得力。ほんとうにこれ以上ないという顔合わせだったのではないでしょうか。観ることができて本当によかったです!