「グリーン・ブック」

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悪名高きジム・クロウ法がまだ法として存在する時代のアメリカを舞台にしたロード・ムービー。高い教養を持ち天才的なピアノの腕で知られた黒人音楽家が、差別と偏見の色濃い南部を旅する。旅の相棒はイタリア系の運転手兼用心棒。監督はピーター・ファレリー、今年のアカデミー賞助演男優賞と作品賞を受賞。タイトルは当時「黒人が安全に旅行できる」ホテルやレストランを掲載していたガイドブックのこと。モデルとなった人物は実在していて、今作の脚本にトニー・バレロンガの実子がクレジットされたりもしています。

カーネギー・ホールの上に住み、豪奢な暮らしをしているピアニスト、ドン・シャーリーは南部でのリサイタル・ツアーに運転手を雇い入れる。ちょうど勤め先がポシャったトニー・バレロンガは、運転のというよりもトラブル回避の腕を買われて8週間の南部旅行に出ることに。天才的ピアニストでいくつもの学位を有し、知性と教養が顔からあふれ出てくるような“ドクター”ドン・シャーリーと、黒人を「黒ナス」と呼び彼らが使ったコップをこっそりゴミ箱に捨てるような、粗野で無教養、家族への愛情は人一倍、そして偏見のただ中にいるようなトニーの凸凹コンビが旅を通じて変化していくさまを時にユーモラスに、時に辛らつに見せていく。

実際、映画館で見ているとなんども笑い声が起こりましたし、あのケンタッキー(と飲みかけのドリンク)をめぐるやりとりとか、ユーモアがふんだんに盛り込まれていて本当に楽しく見られたんですけど、ちょっと気になったのはなんつーか、この作品が10年前だったらもうちょっと違う印象を受けた気がするんですよね。もうみんなの意識はここを通り過ぎてるというか、今の時点では新しい意識をもたらしてくれるものではないって感じなんです。今の客が観たいのはこの「先」なのでは?という気がしました。

とはいえ、ドン・シャーリーを演じたマハーシャラ・アリと、トニーを演じたヴィゴ・モーテンセンの演技は掛け値なしに最高なので、それを観るためだけでもじゅうぶんチケット代の価値ある…!と思いました。マハーシャラ・アリ、本当にすばらしい!華やかなステージのその裏で倉庫で着替えさせられても、目の前にあるトイレを使わせてもらえなくても、その高貴なダイヤモンドのような精神には傷一つつけられない、というような佇まいなのに、あの車内でトニーに自分の寄る辺なさを指摘された時のあの孤独があふれ出るような表情…!何度か劇中でにっこりとほほ笑むシーンがありますが、最後の最後にこれ以上ない!ってぐらいとびっきりのやつが出るのがむちゃくちゃよかった。はー。

ヴィゴの演じるトニーがもうどこから見ても粗野で口先三寸のイタリア男なのすごいし、あのピザの食べっぷりとか、逆にしばらくピザ食う気なくすわ!って感じだし、あの旅に出るときの荷物を積もうともしない態度とか、イーッ!ってなる!なるんだけど、彼がひとつひとつ皮をめくるように偏見の鎧を脱ぎ捨てていって、ドクという人間と、トニーという人間が向き合っていく、その変化の描きようがたまんなかったです。あとほんとごめんね、指輪の民としてはとあるシーンで前髪の降りたヴィゴのショットに「マジか…こんな中年太り(役作りで体重を増やしたそう)満開でもこんなにかっこいい…ヴィゴお前ってやつはほんにうれしい男だよ…」と感慨に浸るのも忘れませんでした。ほんとうにふたりとも最高の演技を見せてくれたなという感じ。

描かれている差別のキツさに心が折れそうになりつつも、トニーが最初にドクのためにピアノのことで怒りを表すシーン(ここでトリオのメンバーに一目置かれたんだろうな)、聞かれていないとおもっていたイタリア語をドクが聞き取っていたとわかるときの苦さ、翡翠をめぐるドクの毅然とした態度、「どう考えても不衛生」な本場ケンタッキーのチキンにかぶりつくドク、最後の夜のナイトクラブ…。すてきなシーンがたくさんありましたし、手紙というモチーフを愛する私としては、この映画で手紙が大きな役割を果たしているのもすごく好きだったところでした。最後のモーテルのふたりの会話、本当にラヴリーだった!