「アベンジャーズ/エンドゲーム」

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4月26日、公開初日に観ました。やっぱりエキスポIMAXで最後を迎えたいと思って指定席争奪戦に挑んだんですけど、これまででもっとも熾烈を極めたような気がします。いつものお気に入りの席(がある、いちおう)ではないけれど、割と見やすい席で取れたのでまあまあ結果オーライ。インフィニティウォーのときにも徹底したネタバレ防衛ラインを組んだので、今回も1か月前に情報系アカウントと特定の単語をミュートし、1週間前あたりからちょっとでも話題に出しそうなアカウントをミュートし、最終的に私のTLがすっかすかになりました。

私はインフィニティウォーを見終わったとき、なんてすごい、なんてよくできてるんだと感嘆し、あそこで残った顔ぶれがいわゆる「オリジナル6」を中心としたものであることに興奮したんですが(彼らから始まった物語がまた彼らに還っていく、私の好きすぎる構図)、同時にこれをどう畳むのか?というところがエンドゲームを見る前の一番の気がかりでした。サノスの指パッチンで消えてしまったひとがそのままということはない(現実的な見方ですが、続編が控えているひとが沢山消えている)、だとすると時間を巻き戻すなり別のアースが出てくるなり、何らかの大きな仕掛けがエンドゲームでは用意され、生き残った面々がそれに絡んでくることは誰にでも予想がついたと思うし、へたすれば大味な解決になって、大味な展開ゆえにメンバーの何人かが大味な死を迎える…とかいうふうになったらいやだなあ、という気持ちが少なからずありました。

しかし、アベンジャーズ/エンドゲームはそれらの心配をことごとく粉砕し、文字通り「予想を裏切り、期待に応える」作品でした。インフィニティウォーと2部作のバランスとしても完ぺきですが、さらにすごいのは過去のMCU作品すべての要素がきちんととりこまれ、それぞれの単体作品を見ているときには多少の違和感さえあった展開もすべて意味のあるもののように思えてくるところです。いったい、あれだけの作品(ただ見るだけでも気の遠くなるような数です、なんせ本作を含めて22作品)を、どうやってコントロールしここに至ったのか?もはや神の所業を見ている思いがします。

映画が始まって最初の30分は、なにをどう掴んでいいかよくわかりませんでした。だってこれだけの大作映画で、冒頭にアクションらしいアクションもほとんどなく、いわば「敗戦処理」の様子だけを見せるのってそうそうなくないですか。もちろん、インフィニティウォーで描ききった壮絶な戦いがあってこそですが、これまではそれはそれとして、単体で見てもある程度楽しめる作品であるという建前があったけれど、この最終作に至ってそれを完全に放棄している。その腹の括り方もすごい。

しかし、キーマンになるだろうと予想されていたスコット・ラング、アントマンが量子世界からの帰還を果たし、「セカンドチャンス」の芽が出てくるところ、そして生き残ったアベンジャーズたちが集まり、「再び石を手にする」ための作戦を立て、それを実行する、といういわば作品の「承」にあたるところから、過去作品への目くばせがふんだんにとりこまれた展開、サービスシーンとでもいうようショットの数々で楽しませ、いよいよあの指パッチンを「取り消す」に至る、しかしその時!という流れがあまりにもスムーズで、インフィニティウォーであれだけ登場人物を分散させたのとは逆に、一本の物語に収れんさせていく、しかも繰り返しますが、前作の要素だけでなく、過去21作品すべての物語を一本に収れんさせていくというこの力業!上映時間は3時間超と相当な長尺ですが、3回見て3回とも「えっもうそんなに時間経った?」という気持ちになりました。なんつーストーリーテリングのうまさ。

最後の対サノス戦は文字通り総力戦なんだけれど、そのバトルシーンの構成もほんとうにうまい。まず生き残ったBIG3にガチでサノスに当たらせ、キャップがムジョルニアを掲げて我々のテンションをストップ高にさせただけでなく(これを待っていたファンがどれだけいたことか)、あの象徴ともいうべき盾が割られるというあの絶望的な構図、そこにあの「左を見ろ」、ポータルから「彼ら」が戻ってくるというこの展開!そして11年かけてようやく口にされるキャップの「アベンジャーズ!アッセンブル」。いやもう、この瞬間のためにずっと見てきたんだなと思いましたし、万感胸に迫るどころじゃありませんでした。

今回、オリジナル6以上にキーマンとなったのがスコットとネビュラだと私は思うんですけど、スコットはまずこの大逆転の契機になったひとだし、ネビュラは今回のトリックスターというか、機械に改造されたという設定を活かし2019年の彼女が2014年の彼女にシンクロすることで、過去のネビュラと未来のネビュラが別の作用を引き起こすという。いやもうこのあたり、GotGの2作品作る時どこまでこれ考えてたん?ってなるやつですよね。

それぞれのキャラクターについてのあれこれは個別のメモ書きに託すとして(そりゃそうでしょ、こんなんで終わるわけない)、例えばあの「ポータルは壊された」「いやまだある」でスコットがあの車のアンサーバックを鳴らすところ、あれはアントマンを見ていなきゃわからないわけですよ。2012年のニューヨークで、ロキを連行するシールドの面々にピアースがいること、あのエレベーターのシーンはウィンターソルジャーを見ていなければわからないわけですよ。そういったすべての要素、すべてのファンへの合図をもれなく受け取れることの喜び、これはここまでこのシリーズに付き合ってきたファンへのまさにご褒美だといってよく、なのにそれが単なる内輪受けではなくてカタルシスのあるシーンにちゃんと繋がっているというのが本当にすごい。こんなにも、全部みてきてよかったとおもえた瞬間はなかったです。

しかしルッソ兄弟は本当にアクションシーンでの見せ方が最高ですよね。インフィニティウォーでのストレンジ先生をはじめワスプやキャプテンマーベルも、「アガる絵面」を見せるのがほんとうにうまい。このエンドゲームでMCUからは離れるそうですが、私はルッソ兄弟MCUデビュー作であるキャプテンアメリカ/ウィンターソルジャーが本当に好きで、今でもMCUの最高傑作だと思っていますけど、あの1本がなかったらこんなに熱心にシリーズを追えていなかったかもしれません。その単体作品での功績が認められて、この「アベンジャーズ」の終幕を飾る2作品の監督として抜擢され、これ以上ないほどに…本当に、これ以上ないほどに見事に結実させた結果を見ることが出来て、ひとりのファンとしても心の底から嬉しいです。

そしてこの作品のエンドロール、とりわけ、オリジナル6に贈る特別なエンドロールは本当に涙が出ました。ここにいる全員が、これだけの成功が約束される前から、海のものとも山のものとも当時はわからなかったシリーズに賭けて、長期間の契約をして、この長きにわたって肉体と精神を維持してこの仕事にあたってくれたこと、そのことへの多大なる餞、すばらしいカーテンコールでした。

いつもは必ずあるポストクレジットシーンがないこと、エンドロールの最後に、すべての発端となったアイアンマンのマーク1を作る時のような鉄を打つ音が響いて、文字通りの終幕。終わってしまったなー、としばらくは席を立てず、茫然としました。初日の3回目の上映でしたが、客席からは拍手が沸き起こりました。

私はロードオブザリングにもすっかり足を取られて、それこそ海外鑑賞だって行ったしロケ地巡りも行ったし、いわゆる「沼」にハマっていましたが(同じ映画を映画館で見た回数は、多分生涯FotRを超すものはないと思う)、MCUのすごいところは、これだけ手を変え品を変えて、コンスタントに「次も見たい」と思わせる作品を提供し続けてくれたことじゃないでしょうか。少なくとも、この持続と情熱がなければ、私はこんなふうに「映画館に行く日常」を継続できなかったんじゃないかと思います。もちろん、MCUはこれからも続きますが、ひとまずはここでひとつのピリオドです。楽しかった。リアルタイムでずっと追いかけ続けることができて幸福でした。残ったひとにも、去っていくひとにも、しばしさようなら。また、いつか、宇宙のどこかで。