その姿勢は気持ちだけ、気持ちだけでお願いします

昨日の夜中に鴻上尚史さんの件のツイートをリアルタイムで拝見して(フォローしてるからね)、うーむこれは燃えそうだぞと思いました。いくつか発言のツリーがつながり、それに対して「いや、そんなことないですよ」という反論のリプライが二つ三つついたところで就寝したが、朝起きたら案の定延焼していた。延焼、するわね、そりゃ。

で、仕事から帰ってきたら該当のツイートは削除されていて、全部読んだわけではないけど観劇クラスタからの反論もおそらく出るとこまで出たんじゃないかと思うんで、もうワシが何にも言うことはない!って感じなんだけど、しかしなんとなくモヤモヤが収まらないので自分なりの整理を書いておくことにします。

最初に言っておくけど、これは収まりかけた火事に油を注ぎたいわけでは断じてないってことです。すでに該当のツイートを削除され、(多少釈然としない部分はあるにせよ)反論の意図はわかったとされているわけだから、勿論この件はこれで手打ちでいい。あくまでも自分のために書いているだけです。

まず鴻上さんのそもそもの発言についてポイントは3つあると思う。

  • ほとんどの劇場は「前のめりになったほうが視界が開ける」
  • 創り手としては、芝居に対して集中するあまり観客が思わず「前のめりになる」ことをめざしている
  • 「前のめりになるな」というアナウンスは観客を積極姿勢にさせたいという制作側の意図を削ぐものである

でもって「前のめり」をネットの辞書で引くと(デジタル大辞泉からの引用)、

1 前方に倒れそうに傾くこと。「急停車で前のめりになる」
2 積極的に物事に取り組むこと。前向き。「前のめりの生き方を評価する」
3 準備不足で、性急に物事を行うこと。せっかちすぎるようす。「新政権の施政方針は前のめりに過ぎる」
[補説]2・3は従来にない用法。

と出てきます。

で、鴻上さんはこの2の用法を意図して「前のめり」という言葉にポジティブな感情をお持ちだってことなんですよね。だから「前のめりになるな」を「積極姿勢になるな」という語感ととらえてる、またはとらえることができるので、そういうアナウンスまでしなければならないのか?という。

これに類すると言っていいかわかんないけど、例えばライヴハウスを想像していただきたいのだが、アーティストは「今日はフロアを揺らすぜ!」という意気込みで来ている、しかし開演前のアナウンスでは「フロアが揺れるので飛び跳ねないでください」と言っている。そういう「削ぎ」が同じように「前のめりになるな」にもあるんじゃないかってことですよね(実際にこれに類するアナウンスをするライヴハウスもあるが、それは安全上の理由なので削ぐとか削がないとかの問題ではない、念のため)。

しかし、観客として思う「前のめり」は…いや、主語が大きいの良くないですね。私が思う「前のめり」はまさにデジタル大辞泉の1の用法、「前方に倒れそうに傾くこと」であり、そうなっている観客のことを言っているわけです。

長年観客席に居続けてきたので、もちろんいろんな客に遭遇してきました。前のめりにあたったことも一度や二度ではないですし、実際それによって迷惑をこうむったこともあります。ここからは私の経験上の話になりますが、あまり観劇慣れしていない観客は、いざ自分の席に座った時、「この目の前の舞台に今から役者が立つ」という事実に興奮する人が多い。そしてその興奮から、「もっと舞台に寄ろう」として自分の身体を物理的に近づける。浅く腰かけ、身を乗り出さんばかりにするわけです。もちろん、観劇慣れしていても、そういった習性が抜けないという人もいるでしょう。

はっきり言いますが、この「前のめり」は作品の劇的興奮とは一切関係がないんです。中身に関係なく前にのめっているだけです。もし、その「観客が物理的に身体を近づける」行為を見て作品の出来を判断している制作者がいたとしたら、観客の立場からそれは大きな誤解ですと申し上げたい。

さらに、件の発言に対する反論として、「前にのめっていなければ、つまり深く腰掛けて背もたれに背中をつけている客は、作品に対して積極姿勢でない、興奮していないととらえられるのか?」という意見はもっともですし、観客がいかに世界に没頭しているかをはかる物差しが、そんな簡単に目に見えるものであってたまるかとも思います。ひとりひとりの観客は、その観客の文法でしか作品を見ない、だから個々の客の声を聞く必要はない、けれど、その日の客席の「観客」としての声なき声というものは絶対にある。絶対にあります。それを聴くことができる人がこの世界で生き残っているのではないのか、とも思います。

もうひとつ言いたいのは、きちんと腰かけて背もたれに背中をつけて観劇していたとしても、思わぬ興奮で一瞬背中が浮いたり、大笑いして前かがみになったり、そういった反射的な反応は誰しもあるということです。そして「前のめりになるな」と言っている人は、そういう反応を問題視しているわけじゃないだろうってことです。「ハイ!いまそこ背中が3秒離れた!」みたいなことを言う人はいないでしょう。そうではなく、「物理的に自分の身体を舞台に近づけようとして」「その姿勢を観劇中死守しようとする人のこと」を言っているんです。

ほとんどの劇場は前のめりになった方が視界がひらける、という点については、そうですか、あなたがそうならそうなんですね、としか申し上げられないけれど(だって個人の体験ですからね)、女性の座高の問題なのか、座る座席の問題なのか、ともかく、それこそ1000回を超える回数いろんな劇場の椅子に座ってきたものとして、「私は前のめりになられて視界が開けたことは一度もないです」としか言えないし、実際問題、視界が開けているのに改善を求める客なんていないと思うんですよ。あのアナウンスは劇場が勝手に慮ってやっているわけではなくて、そういう客側からのニーズがあって行われているわけでしょう。劇場によっては「2階席のお客様」と限定するところもあるから、1階席では大して問題とならない、つまり視界を大きく左右しないってこともあるかもしれない。でもだからって「前のめりという用語が積極姿勢での関与を否定されている気持ちになって制作者がへこむからアナウンスしなくてもいいのでは」というご意見にはとうてい首肯できません。

ブロードウェイやウェストエンドではそういったアナウンスがないというのはいいことかもしれない、そんなことまでアナウンスする日本の社会が未熟というならそうかもしれない、だとしたら成熟の方向にこれから向かえばいいのではないですか。今行われているアナウンスはその成熟のためのステップだと思えばいいのではないですか。ゆくゆくは、そんなアナウンスがなくても、「前のめり」な客に対して周囲が声をかけ、すんなり理解される日が来るかもしれない。来ないかもしれない。でも、少なくとも「制作側の意思を削がれる気持ちになる」ことと、その日劇場に足を運んだ観客が少しでも快適に、皆が舞台を楽しめる環境をできるだけ確保することを天秤にかけたら、どちらに傾くかは自明の理なのではないでしょうか。

こんな話で3000字も書いてしまった。こんなに書いてしまったのはもちろん私が鴻上さんと第三舞台で産湯を使った人間だからです。べつに幻滅した!みたいな話じゃないヨ!こんなことで幻滅するほど私が鴻上さんと第三舞台に対して負ってる借金は安くないし、これで幻滅するならとっくの昔にしてるような気がする(なんだって?)。繰り返しますけど油をそそぎたいわけではないですし、逆に反論している方にみんなもうやめてあげてよお!みたいな気持ちも全然ないです。私が鴻上さんに学んだことのひとつが、なんかあったら対話だろおお!!!って姿勢なので、対話じゃないけどこうして書き残してみました。長文ですまないし、最後まで読んで下さったかたには感謝しかない、でも長いからこそ書けることもあるんじゃないかと思うのよ。これが私のやり方です。