「『見えない/見える』ことについての考察」

森山未來くんのソロ公演。ジョセフ・サラマーゴの「白の闇」のリーディングに未來くんのパフォーマンスが重なり、さらにモーリス・ブランショの「白日の狂気」がメタテキストとして絡まってくるという構造。1回に入れる客の人数をかなり絞っていたと思います。これは入場時にイヤホンガイドのようなものを渡されるので、その数までしか入れない(入れられない)ということなのかなと。

こういうタイプの公演は得意な方じゃない(何しろ台詞で圧される芝居が大好物ですからして)けど、森山未來のパフォーマンスを間近で見られるということには代えがたい。これだけの至近距離で、自分の肉体だけで観客の前に立っても、観客に居心地の悪さを感じさせない、圧倒的な「身体の力」がある。鍛錬が表すものの誤魔化せなさよ。

リーディングテキストは「ある日突然失明する集団」が出て「原因は不明」、「感染をおそれて隔離」される…という、実に今日的なテキスト。白い闇というその表現を、カメラのストロボライトのきわめて強い明かりが具現化していて、あらためてステージパフォーマンスにおける「照明」の効果の大きさ、ある意味もうひとりの出演者といってもいいほどの存在感があるなと思いました。

イヤホンガイドでは未來くんの声が文字通り耳元で聞こえてくるという体験ができて、いやー彼の身体と声を堪能しちゃったなと。こうした時期に身ひとつで全国を回り、まさに「見る」ことのひとつの形を示してくれたことに感謝しております。