「パンドラの鐘」  NODA MAP

こういうものに優劣はなく勝敗なんてつけようがないと言うのは重々承知の上ですがそれでもやはり言わせていただきましょう。野田さんだってこれは勝負だって言ってるし。
このパンドラ勝負、蜷川幸雄の圧勝でした。もちろん、私的には。

舞台美術・演出という点ではどちらも甲乙つけがたいものはあると思います。というか、美しさでは野田さんの方がダントツでした。蜷川さんの方が瓦礫、野田さんの方が紙を使ったという点から見ても、野田さんの演出はすべてにおいて抽象的で、美しい表現に結実している感じ。紙を破る音とかを効果的に使っているのも流石だなぁと思いました。階段を使って劇場の高さを十二分に生かしていたと思うし、何よりどのシーンをとってもまるで1枚の絵のようなんですよね。色の使い方も鮮やかですごく心に残りました。

ラストのヒメ女とミズヲのシーン、「それが出来ないものは滅びる前の日に・・・・」のくだりを、割と喧噪の中でセリフを言わせていたのが意外でした。もっと静かな中で見せるかと思っていたんですよね。まあでも、ここまで痛烈な言葉だからこそ静かに言わせることはしたくなかったのかなぁ。それはとても野田さんらしいという気がしますけど・・・・。それと蜷川版を見たとき、最後の「化けて出てこーい!」はもうほんといかにも野田さんだなぁと言うか、この一語に野田さんの作り出す切なさが凝縮されてるなぁと私は感じたんですけど、やはり、このセリフにポイントを持ってきていましたね。この手のやつに私はホント弱いんですよ。このセリフにはくらってしまいましたね。やっぱり。あと一番ここが違った!というのは「おれは届くに賭けますよ」とミズヲが叫んだ後、轟音が聞こえるのか聞こえないのかという点。これは本当に好み、というか解釈の違いになってくるかと思うけど、届くに賭ける、の言葉の後に轟音が被さってしまう切なさ、届かなかったのだと思い知らされる蜷川版に対し、聞こえなかった野田版は届いたのか届いていないのか、もしかしたら届いたのかもしれないという余地を残しているのかなぁと。でも野田さんがそんな甘いかよ、とも思いますが(笑)。で私がどっちにくらったかっていうと蜷川さんの方なんですよね。すべてにおいて直接的な表現が好きな訳ではないけれど(余韻を残すのも大好きだし)、この芝居、このテーマに限って言えば蜷川さんの解釈の方が好きですねぇぇ。

蜷川版の感想に「堤さんに勝村さんのミズヲを越えられるとはどうしても思えん。」って書いてるんですけど、それはもうやっぱりその通りでした、ってことで。すべての死体を土に返すことに執着するミズヲの暗い情熱というか、そういうのが感じられませんでした。なんというか、非常に天真爛漫すぎて。もしも先に野田さんのを見ていたら、そうは思わなかったとは思います。でももしその後蜷川版を見たら、堤さんのミズヲはやっぱり消し飛んでしまったと思う。堤さんが下手だとか言うことではもちろんなく、勝村さんのミズヲを超えられる人がいないということなんだと思う。ヒメ女も、やはり天海さんはいまいちドスが利いてなかったというか。それにしても「お前達お選び!」のセリフなかったけど・・・・・・なんで?古田さんのカナクギ教授・松尾さんのハンニバル・野田さんのヒイバア、流石に笑いどころもおさえててさすがでしたけど、うわーー、やられたわこれは・・・っていうインパクトを残すにはいたらなかった。古田さんなんかやっぱり爆発し切れてない感じしたなぁ。

ってことで。まあとにかくキャストの面で蜷川版が完全に上回ったかなと。いやしかし、それにしても野田版・蜷川版どちらにしても超一級の作品であることには間違いないです。すごい本書いたもんだよ、野田さんは。

野田さんのを先に見たら野田版が気に入ってたのかな、と思うけども、今となってはそれも考えられないなあ。堤&天海も好きな役者さんではあるんですけどね。松尾スズキさんのハンニバルは結構印象的。古田さんが実はあまり記憶にないってあたりが、この私にしては珍しいです(笑)