「野田版 研辰の討たれ」

納涼歌舞伎ってことなら勢獅子も入るんでしょうが、今回はあくまで研辰メインってことで(笑)なんかもう、すごく書きたいことが沢山ある。あるんだけど、でもとにかく面白かった!とても、とても、とても!!!

話は四十七士の討ち入り話の余韻もさめやらぬ江戸時代。町人上がりの武士研ぎ屋の辰次は町人上がりゆえの口の上手さと調子の良さで仲間からは総すかん。あげく老中に剣術の稽古で痛い目に遭わされ、どうにかして仕返ししてやれと目論んだところが目論見が当たりすぎて老中はぽっくりあの世行き。老中の息子二人は嘆く間もなく仇討ちに追い立てられ、ようよう辰次を追いつめたはいいが無責任な外野は意味もなく仇討ちを見たがり、辰次はといえば勝負に挑めば殺される、と命乞いの始末。さて彼らは辰次を討つ事ができるのか?

もともとの「研辰」はもちろん見たことがないのではっきりは言えないけど、無責任に追い立てる外野の、ひとの悪意っつーか、悪意とは言わないまでも、それこそ野次馬根性というやつ、それを如実に見せていたのがいかにも野田さんらしいなぁと。仇討ちの御仁と見れば言い寄る姉妹の可笑しさ滑稽さ、「討て討て」の大合唱、「またほかで仇討ちが始まった」とあっさりと去っていく彼ら。当事者の気持ちなんかどこにもなく事が進んでしまうコワさ加減。辰次が平井兄弟の畚の綱を切るときの「この綱を切らせるのはその声だ」っていうセリフがそれを象徴していると思いました。

(老婆心ながらここから先は読まない方が面白いかと思います、とは言いながら筋書きには最後の最後まで書かれてるんですが)良観に平井兄弟二人の刀を研ぎなさい、と言われ、この刀を研ぎ終わったとき俺は死ぬ、死にたくない死にたくないと、自分を紅葉になぞらえて嘆く辰次。良観にできれば助けてやれと言われたからか、辰次の無抵抗なさまにためらったか、お前は犬だ、犬を斬る刀はないと刀を納める平井兄弟。拍子抜けの聴衆はまた新しい仇討ちを求めて去っていく。輝く紅葉の下で、助かったと、ありがてえと麦湯を呷る辰次。しかしそこへ平井兄弟が電光石火のごとく駆け戻り、一刀のもとに辰次を斬り捨てる。

やっと殺せた、と、ここで染五郎さんのいうセリフがとても良い。だけど俺はなんだか、仇を討ったというよりも、人を殺したという心持ちだと。
平井兄弟は去り、舞台の上には紅葉と辰次だけが残る。辰次の上に、散りたくないと我が身を真っ赤に染めた紅葉が一葉、はらはらと舞い落ちる。そして、幕。

うまいよねーーー!!!うまいでしょ?なんか最後の方とかさぁ、野田さんもう持ち駒で勝負しちゃって!という感もありつつ(笑)、だけど、もう最後の最後までほっとんど笑いの連続だからさ。シリアスになる隙も与えないぐらいの。だから特に最後の場の静けさっていうのは沁みるよねぇ。わかっていても勘九郎さんの刀を研ぎながらの独白と最後の紅葉には「うっ」ときてしまったことです。

役者さんは、勘九郎さんはもう言わずもがな、ご本人もノリノリで最高でした。しかしあたし的に今回一番のクリーンヒットだったのは福助さんだ!!面白いの!つーかご本人絶対楽しんでやってるよ。生き生きしてたもん(笑)染五郎さんに抱きつくとことか、絶対ご本人野田さんに言われた以上にやっていると見た。およしのときもいいんだけど、奥方萩の江のときの「あっぱれじゃ!」のタイミングとか、良すぎ。大好きだ。染五郎さんは慣れもあってか(新感線でね)ギャグを飛ばすときでも間とか絶妙でさすがだなと。あと弥十郎さんもワキながらキャラが立ってて面白かった。背もあるだろうけど(笑)

いろいろ、言われると思うんだぁ。これは歌舞伎じゃないとかさ。あたしの横の客も後ろの客も「何これ!?」連発してたし。つか、あたしもこれって歌舞伎?と思いましたよ正直。野田版歌舞伎じゃなくてNODA MAP歌舞伎版。
だけど、筋書に寄せられた野田さんの言葉を読むとですね、うん、なるほどと思ってしまうんですよ。いや、野田さんがここまでストレートに言いたいこと書くって珍しいよ!?野田さんは、なにより、面白い芝居というものが第一なんだなぁと、〜らしいとか、らしくないとか、そんなつまんないことで芝居をつまらなくするなよ、ってことなんだろうなぁ。あたしもちょっと身に覚えアリなので、自戒の念をこめて。

「歌舞伎らしく」なかったかもしれないけど、でも本当に楽しかったよ。書割もなく、暗転から始まって、影絵から始まって、ギャグはふんだんだし、曲は流すし、三味線はないし、群唱するし。だけどまぎれもなく面白い芝居だった。いいコヤでいい物見た。芝居見物って、こうでなくちゃ!と改めて思った次第であります。

日本の演劇界を変える、その意気込みと成果の結実した舞台に立ち会えて幸せでした。何十年後までも語り継がれる舞台であると思う。野田・勘九郎両氏に乾杯。