「ファントム・ペイン」  第三舞台

私は考える。「正しく戦った者だけが傷つく」という言葉のほんとうの意味を。私は考える。なぜあの時後藤田は元の世界に帰らなかったのか。私は考える。「この世界の戦いを応援する。それが俺の仕事だ。」と言ったときのマネージャーの気持ちを。私は考える。タイケイの世界に帰ることは逃げなのか?それとも平成の世界にとどまることは逃げなのか?この世界にはスナフキンの手紙はないのか?「語られなくなった言葉」がひとになにかをもたらすという考えは、もうファンタジーになってしまったのか?そして、私は考える。語られなくなってしまった言葉の想いは、パラレルワールドでもうひとりの自分として生きていく。それを「想像する」ということは、どういうことなのかを。

第三舞台20周年記念、そして10年間封印公演「ファントム・ペイン」を観てきました。

藪から棒になんだが、この観劇の記録はもともと自分のために、誰に読ませるあてもなく書いていたものだ。このwebにある昔の感想は、このHPのために昔を思い出して書いたものではなくて、ひとりこそこそと劇場に通っていた頃に書きためた大学ノートをそのまま写したものなのだ。なぜ、そんなことを始めたかというと、どうしても何かを残したかったから。演劇は風に記された文字であるとわかっていても、あの時確かに動いた自分の気持ちを何かに残しておきたかったからだ。何を言えばいいのかわからないけれど、でも何かを言わずにおれなかったからだ。

今読み返しても大したことは書いていない。誰々が格好良かったとか、このシーンが印象的だったとか、誰々がうまい、なんて、わかりもしないくせに生意気なことも結構書いている。テーマがどうとか、あのセリフの意味がどうとか、まったくと言っていいほど触れていない、幼稚な感想だ。
でも今そのノートに触れてみると、あの時の自分の「書きたかった気持ち」は痛いほど伝わってくる。そして、あの時の、第三舞台を観て、いてもたってもいられなかったあの時の気持ちを思い出す。寝ても覚めても第三舞台のことを考えていたときのこと。

第三舞台の芝居を、言葉で評してしまうことは私にはひょっとしたら出来ないのかもしれないです。今までも、これからも。周辺のことは、良く書ける。役者さんの演技、ダンス、セリフ、舞台装置、音楽、ギャグ、お約束ネタ。そのどれもがいとおしくてたまらないけれど、私が第三舞台からもらった一番大切なものはそのどれでもない。そうしてやっぱりそれを言葉にすることが私には出来なさそうなんです。希望でも絶望でもない、勇気でもない諦めでもない。胸の中にほとんとおちる何か。喉元に引っかかって抜けない何か。

私はこの芝居を、とても大事な友人と一緒に観た。別れ際、彼女は私に
第三舞台を知らなかったら、もっと今卑屈になっていたかも」と言った。
私が第三舞台にもらった「一番大切なもの」を、この言葉は限りなく言い当てているような気がするんです。
そして鴻上さんが創りたいと願っている芝居の本質も、そこにあるんじゃないのかなと思うんです。

生きのびること。涙を拭くハンカチのような芝居。傷ついたひとのところに必ず現れる幻の劇団。変わらない、そして、変わり続ける。幸福な瞬間など何度でも作ってやる。

好きだった好きだった好きだった。あんなに人生で熱狂したことなかったなぁ。愛していたもんな。また会えて良かった。また大事なものをもらえて良かった。私は変わったかなぁ。変わっていないような気もする。いっぱい考えて、いっぱいもらったけど、でも本当には変われていないのかもなぁ。だけど、ちょっとだけでも顔は前を向いているようになったと思うんだ。それだけでも、すごいことだよね。
先のことを信じるのがあんまりうまくないたちなんで、10年後なんて、わかんない、と思う気持ちもある。だけど、10年なんて、すぐだよ、という気持ちもある。
好きな劇団も好きな役者もたくさん居て、これからもたくさんの面白い芝居に出会うだろうけど、こんなにも、大事な友人のように、自分の人生を報告したくなるような、そんな劇団には出会えないと思う。

劇場に行く途中で、伊東屋に寄ってみどりのペンを買った。アンケートにはそのペンで、「また会いましょう」とだけ書いた。みどりのペンで書くと、願いが叶うなんて迷信を信じたわけでもないけれど。

また会いましょう。第三舞台の芝居も、私の人生も、お楽しみはこれからです。

今読み返しても、こりゃあ感想じゃあない。でもまあ、正直な気持ちです。今書き直したとしても、同じことしか書けないと思う、やっぱり。