「木の皿」

あらすじを聞いたときに、佐江衆一さんの「黄落」という小説のことを思い出したのだけれど、それよりもまだ救いがあるとはいえイヤー、重いです。あたりまえだけれどこの「老い」という問題は少なからず自分の身に降りかかってくることで、身に覚えがありすぎというか身につまされすぎというか。「オイル」の感想で「他人事ではない」という言葉を使ったけれど、この「木の皿」はもっと「他人事ではない」話。あなたの親も私の親もいつか歳をとる。そして私もあなた自身も。それもそんな遠い将来の話ではないのだ。
そのとき、どうするんだ、あなたなら。

クララという役が憎まれ役なのかというと決してそうではないと思う。なぜなら彼女が「アラモの亡霊たちが私をあざ笑うの・・・!」と言って慟哭するシーンが象徴的だけれど、彼女はもう本当にいっぱいいっぱいなのだということがわかるからだ。私は女なので、自分も将来あの立場に立つかも、と思うととてもじゃないが彼女のことを責められない。グレンが一生懸命なのもわかる。フロイドの気持ちだってわかる。ロンの気持ちだってサムの台詞じゃないけど「生きてきた報いがこの仕打ちか」と思うだろう。じゃあどうすればいいんだ。その答えが見えないから(そして多分ひとつではないから)この問題は厄介なんだろうなあ。しかしロンのように、これから真っ暗な穴の中に入っていく、という時に「今度は本当の孤独と向き合わなければならない、それが人生の戦いというものだから」と勇気を奮い立たせることができる人がどれだけいるだろう?いやもうホント、わが身を振り返りまくってしまいますよ・・・。

スーザンがおじいちゃんに見せたやさしさは間違いなく彼を救ったし、だからこそ彼も勇気を持つことが出来たのだろうと思う。「あんたのことは好きじゃないが、あんたは私の面倒を見てくれた。ありがとう。この家にいるのも悪いもんじゃなかった」というロンの言葉。もしかしたら、もうすこし早くその言葉をクララにかけてあげてくれたら、彼女はもう少し踏ん張れていたのかも。月並みな言葉だけど、人を思いやるってやっぱりすごく大事なんだよなあ。もちろん、そんな簡単なことではないというのはわかるけど、でもその気持ちがあるのとないのとじゃ見えてくる答えだって違ったのかもしれないのにと思ったりしました。

クララをやった大西さんとロンの湯浅さんがとにかく圧巻。湯浅さんの最後の、「子供を抱き上げてその子が笑いかけたとき、本当の愛の意味を知るんだ」というセリフからもう涙が止まらなくて止まらなくてどうしようかと思いました。ただ淡々と語っているようですごい迫力。大西さんも、クララという役に私たちの気持ちを引き寄せたのは彼女の演技の説得力の賜物だと思います。小須田さんはなんとも色気のある南部の二枚目ダメ男で良かった〜〜。しかも最初の腕むき出しの衣装が・・・というかイイ身体すぎて惚れ・・・(笑)役者さんがみなさん「きっちりうまい」ひとばかりなので本当に安心してみさせていただきました。重かったけど、見てよかったと思ったなあ、うん。