「浪人街」

パンフレットの中でプロデューサーの河出洋一さんが、「日本に真の意味で市民権を得た商業演劇がない」だから「一級のエンターテイメントを作ろうと思った」とコメントされていて、それに非常に共感した。私がはじめていわゆる「商業演劇」を見たとき、そのつまらなさにほとんど衝撃を覚えたものだ。なのに今は私も「松竹座ならこんなもの」「明治座にしては頑張っている」と日和った感想を持つようになった。それは「そういった芝居を面白いと思う人も確実にいる」という事実、逆に私が普段面白いと思うようなものを受け入れられない人もいるという事実と関係あるんだろう。人の好みはそれぞれだ。
でもそれならば、誰でもが面白いと思うものを作ることは無理なのか。若い人でも、お年よりでも、小劇場好きでも、歌舞伎好きでも、程度の差こそあれ皆を酔わせて笑顔で帰らせる作品をつくることは不可能なのか?


花も実もある役者を揃えた豪華絢爛華舞台。名作映画を元ネタに、情けなくもカッコいい男たちが舞台狭しと駆け回ります。確かに巷で言われている通り、まったく無駄のないシェイプされた舞台とはとても言えないし、話も単純なだけに緊張感が持続しづらいところはありますが、しかしこの無駄に長い助走がいいのよ、と天邪鬼な感想を言ってみたり(笑)まだかまだかとじりじりやきもき、だからこそ荒牧が立ち上がってからの20分が「待ってましたあ!」という気持ちよさにつながるというか。

荒牧役の唐沢寿明さん、母衣役の伊原剛志さん、赤牛役の中村獅童さんがとにかく魅力的。とくに獅童さんははまり役中のはまり役じゃないでしょうか。単純で一本気な世界に住みながらも、だからこそ人の心中にいちはやく気が付く。酒を飲みながら「嬉しい男」「寂しい男」と連呼し、「まるで大きな赤子」と母衣に評されたそのままに生きていく赤牛。獅童さんの持つ愛嬌が絶妙に役柄とマッチしていてナイスでした。「自分の中の純情をかき集めて」演じている、といった伊原さんの母衣は、なんともこれが朴訥系が結構はまっていてファンにとっては嬉しい一面かと。可愛いんだこれが、もう!ほんとに!抱き締めたい、じゃなかった抱き締められたい!(やや暴走)唐沢さんはぎゃーーなんてひどい男!・・・とは、実は思わなかったんだが(笑)、硬軟自由自在という感じのうまさが流石。言い訳しない男のカッコよさに惚れますよ!

逆にこの3人と比べて悪役がさほど強烈じゃなかったのは残念。あと、田中&成宮姉弟のシーンがどうにも流れを止めちゃうなあ。二幕の荒牧・千鶴の二人の別れとかはさほど悪くないんだけど、一幕のこの二人はかなり白ける。いっそ削っても良かったんじゃないかとさえ思ってしまいます。藤兵衛の田山さんは若くて浮きがちな舞台のたがをがっちり締めてくださっていた感じ。セリフの切れの良さ、人柄の滲み出た佇まいがいいです。松さんはあの声のよさを生かした啖呵が素敵〜〜〜〜!!!かっこよくてかわいくて、母衣が惚れるのもわかるのう。

最後の大立ち回りこそがこの舞台の見せ場で、だからたとえちょっと助走がながくても、その気持ち良さったらない。そりゃあもう水は飛ぶ血は飛ぶ人は飛ぶ。いいねえいいねえ。金持ってる会社が派手に金使って派手なことをやる。こうでなくっちゃ!これこそ正しい金の使い方だよ。基本的に殺陣の速さは殺さない方針のようなんだけど、足元が水で滑るだけにもう少しためるシーンがあっても良かったかなと思った。速さやうまさでは伊原さんに一日の長という感じなんだけど、獅童くんは逆に止めたときの形が決まっているので倍うまく見える。贅沢な悩みですが、客も見るのが忙しいのでもうすこしゆっくりでもいいよ、とか(笑)

一ヶ月半もこの舞台をやり続ける、それは大変なことだし生半可ではないけど、でもそれだけ長くやってくれているからこそ今回私は見に来ることができた。できれば、こういう舞台がいつでも、そしてちょっと頑張ればチケットが手に入るようになったら、絶対に芝居を取り巻く環境はもっと変わってくるのにな、と思わずにいられない。いろいろ評価は分かれるだろうけど、でもこれだけは間違いない。これは舞台だからこそ味わえる興奮だ。河出さん、真の商業演劇に、ちょっと近づいたんじゃないですか?次の企みは何でしょう。楽しみでしょうがないですよ!