「ディファイルド」

  • シアタードラマシティ  21列9番
  • 作 リー・カルチェイム  演出 鈴木勝秀

司書のハリーは、図書館が蔵書カードの代わりにコンピュータの検索システムを導入することに抗議し、図書館を爆破すると立てこもる。交渉人として呼ばれたベテラン刑事のブライアンは、巧みな会話で説得を試みる。最初は交渉を拒絶していたハリーは、次第に心を開いていくが・・・

ガチの二人芝居、テーマも重いしラストも重いし、かなり重量級になるかと思いきや、思いの外軽く作ってあるなという印象。この演出は意図的だと思うなあ。確かにこれを重く作られたらたまらんかもしれん。セットの白づくめもリアリティを前面に押し出しすぎないようにという意図かしら。壁面にある赤いランプ(爆弾)が、劇場の壁にも少しはみ出していて、さりげないけれど図書館の広がりを感じさせてうまいなあ。

見ながら、それこそハリーじゃないけれど「こんなのは映画でたくさん見た」、きっとこういう結末になるっていう哀しい予感がひしひしとあって、それが現実のものになってしまうのがやっぱり哀しい。

ディファイルドというのは「神聖なものが汚される」という意味だそうで、劇中ハリーとブライアン、お互いにとっての「神聖なもの」をぶつけ合うシーンがあるが、しかし最終盤、ブライアンは「現実を生きていないガキが何を言う」(と、いうようなニュアンス)の台詞を吐いてしまう。くたくたになって家に帰ってそこで待っているドラマチックでも素敵でもない些末なことが現実だと。ブライアンのいうことはまったく正しい。さて、そこで問題。

たとえば、急に花を生け始めた人間に向かって、
「もっと強くならなけりゃいけない。水を取り替えるという目的に縋ることなく生きていかなければならない」
とアドバイスすることは無謀か無慈悲か有効か?
相手が死刑囚なら無謀で無慈悲で、相手が日常生活を生きる人間なら有効なのか?(鴻上尚史『ごあいさつ』より引用)

ハリーにとってブライアンの言葉は無謀か無慈悲か、それとも有効だったのだろうか。彼にとっての神聖なものが図書館と、その地図と言っていい蔵書カードだというのを、自分にとっての神聖なものが失われることと置き換えて、ブライアンは考えてみたのだろうか。ハリーの言い分は殆ど馬鹿げていて、だからこそあまり切迫性も感じられない。署長の無線じゃないけれど「それだけのわけがないだろう」というほどにある種突拍子もなく、しかもあまり得になるとも思えない行為だ。ブライアンはハリーが「図書館に思い入れがある」ことは理解しただろう。それを実感をもって理解していることは劇中でもよくわかる。しかし結局は、彼の頭の中に入っていくことは出来なかった。
スズカツさんは、本当に昔からディスコミニュケーションということにこだわりがあるんだなーと思う。まあ、スズカツさんが書いた脚本じゃないんだけども。

しかし、ハリーにとって「電算化・画一化をくい止めることが使命」という、その使命感っつーのかなあ、その使命感と引き換えに図書館を爆破、ってことになると、個人的にはううん?と思ってしまう点が大きい。ハリーの、それこそパーソナルな証としての蔵書カードなら、彼の必死さも頷けるし引き込まれるんだけど。あ、でも、「あんたはどこかのスーパーに行って鱒を買ってきたいわけじゃない、冷たい河に足を浸して獲る自分だけの鱒が欲しいんだ」(ものっそうろ覚え)みたいな台詞は非常に共感した。Amazonで買う本は手軽でいいけれど、本屋でためつながめつする悦びはそこにはないよなあ。それは実用的ではないけれど、人生を豊かにするものだ。そういえば昔逢坂みえこさんの漫画で「昔から愛しいものはいつも役立たず/時間を忘れて朝まで読んだ試験に出ない本/見つめるだけの思い人/なかなか会えない恋人/食えない花/届かない星/明日になれば消える夢」という一節があってものすごく好きだった。ハリーがそういうものだけを抱えて愛して生きていたかと思うと、あの最期はやはり哀しい。

まったく的はずれな疑問なのかもしれないのだが、ブライアンがまったく左足を曲げないのはなんでなんだろう?図書カードの棚に足をどん!と不自然に乗せるときから気になっていた。銃をはさんでつかみ合いをするときに、腰をやたらに押さえるのも気になる。撃たれた兄の話もしたけど、ブライアン自身もそういう経験があるんじゃないのかなあとか。いや、まったく愚にもつかない疑問なんだけど、でもそう思うとブライアンは自分自身のことはあまり話してないんだなあ。

そんな疑問を真面目に考えようとしてみることはみたんだが
大沢たかおの可愛さがそれを邪魔する。
いやいや、あんな可愛い生き物に目の前をちらっちらされてご覧なさい!哲学書の前を水着姿のグラビアクイーンがチラチラするようなものだよ!って喩えがなぜそっち方面!?ラストで二人が握手する(そのとき微妙に腰が引けてるハリーがすでに可愛いんだが)シーンで、ハリーがブライアンの肩に縋って泣くところなんぞ、普通に良いシーンだなあと感動するべきところ、あたしはもう自分で自分の首を絞めたくなったよ。可愛すぎて!ぎゃーー可愛すぎてもう蕁麻疹出ちゃう!みたいな。意味がわからない。それぐらい剛速球ど真ん中ストライクバッターアウト!な可愛さだってことです。それにしても全編ヤバかった。毛糸の帽子あんな似合うってありか。黒いジャケットの袖からちょっと覗く白いシャツがまた確信犯的に可愛い。かっこいい、って感想は出てこないのか。いやごめん、もちろん格好良くもあったんだけど今回は可愛さ勝ちだ。鼻血が出なかったのがある意味不思議。

カーテンコールでの大沢たかおさん人気の凄さにも驚いたのだが、そのカーテンコールで長塚さんと二人で出てきてぴょこん!と頭を下げるのがまた死ぬほどキューティで、しかも2回目出てきたときだったかな、二人で出てきて頭を下げたらなかなか長塚さんが頭を下げなくて、あれ?あれ?みたいな感じで何度も頭を下げかけては長塚さんの様子をのぞき見る様子が・・・・
あまりにもあまりだった。(つまり可愛かった)
こんな感想の締めって、どうよどうなのよ!