「リンダ・リンダ」 KOKAMI@network vol.6

  • シアタードラマシティ  3列36番
  • 作・演出  鴻上尚史

ブルーハーツを題材に、和製「マンマ・ミーア」を目指した作品。なのかな。マンマミーア見ていないのでどれぐらいタイプが似てるのかよくわかりません。ボーカルだけを引き抜かれたバンドのメンバー達の、甘くて苦しい抵抗の物語。

作品としてアレ?だった部分も正直あったんですが、最後は気分良くねじ伏せられる感じ。個人的にもっとも疑問だったのは堤防と学生運動の背景に映像を使用した点。登場人物達にとっても、そしてこれを見に来た多くの観客にとっても、それは「あったことしか知らない遠い景色」であった方がより印象的だったような気もする。大高さんの存在感がその時代の重さは充分に体現してくれているので、映像での説明はいらないなあ。あともうひとつ、ヒロシの思いが「堤防」に向かっていくその初速がちょっと足りない気がした。どうしてもカズトが「堤防」って言い出すのがすごく不自然(ヨシオのファッキン堤防も同様。)もうひとつ、ものすごくパーソナルな事でもいいから(というか、パーソナルな事で)なんか欲しかったような。最初は初速だけで、あとは引っ込みがつかなくなるというのは別に全然アリだと思うし。
一幕はその説明と堤防破壊への説得力に気を取られてしまったけど、二幕はその「にっちもさっちもいかない」彼らの甘くて苦しい若さがとてもよく感じられてすごく集中して見ることが出来た。最後を怒濤のように畳み掛けてスパッと終わる構成は見事。ものすごく音楽の力を生かしていて効果的だったと思う。

曲の使い方ですごくいい!と思ったのは「風船爆弾」「パンクロック」「青空」「チェインギャング」「パーティー」「TOO MUCH PAIN」「英雄にあこがれて」とかかな。あと「年をとろう」や「歩く花」なんかは、ブルハの曲の中でも個人的にまったく印象に残っていなかったのに、芝居の中ではすごく生きててよかった。逆に「人にやさしく」や「ラブレター」、「トレイントレイン」はあまりにも名曲過ぎて難しいだろうなあと思いつつ、曲にはいる前に「気が狂いそう」とか「列車」とかのキーワードがない方が個人的には好きだったかなと思ったり。それからワンフレーズで終わってしまう「君のため」はぐわああーーーーー!!!って感じだった。全部聞きたかった。ブルーハーツのバラードというとどうしてもラブレターが出がちだけど、私は君のためが一番好き。逆にバンドの話だったら絶対使うだろうと予測していた「僕の右手」がないのにちょっと驚き&がっかり。あまりにもストレートだから?でもヒロシの焦りというか、音楽的才能と向き合う事への恐怖から堤防に気持ちが行ってる、ってあたりもこの曲があるともっと説得力あったんじゃないかと思うのにー。って、山本くんが歌うの見たかっただけだろって言われそうな気もしますが。ううう。だって見たこともないようなギターの弾き方で 聞いたこともないような歌い方をしたいなんて、やっぱ、聞きたかったーーー!(わがまま)

キャストの中で特筆すべきはまずなんと言っても北村有起哉さんでしょう。いやあ素晴らしかった。山本ファン、松岡ファンの心をも鷲掴みにしたんじゃないでしょうか。北村さんは本当にブルーハーツの大ファンだったようですので、その思いが炸裂というのもあるのかもしれませんが、うまく歌う歌だけが歌じゃない、ということを体現してくれてましたよねえ。間の取り方、笑いのセンスもいちいちさすが。カッコイイ役の北村さんも知っているだけに、そのギャップも楽しく見れました。大高さんはどんな設定でもきちんと説得力持って見せてくれるとこがあって安心できる。さすがに一番の理解者だなあという感じ。馬渕さんはもう、相当安心して見れる感じになってきて感慨深い。役柄の説得力がきちんと感じられる誠実な芝居で好感。そして田鍋さんと林さんのコンビは、すばらしくおいしい(笑)山本耕史くんは、ほんっっとに説得力を持たせるのに難しいキャラクターだったんじゃないだろうかと思うんだけど、物語の背骨をちゃんと背負ってくれていて、さすがプロだなあと感動した。歌のうまさ、存在感、華なんかはもう言わずもがななんだけど、アキコとの別れのシーンで見せるような細やかな感情の表現にもぐっとくるものが多くありました。

松岡充さんは、やっぱり、ロックスターだなあ、というのが実は最初に感じた感想。そして私は、ロックスターが大好きなんだなあ。何遍彼の目線にときめいたことか。「ああ今目があった!」(半径3メートル全員そう思っている)とお痛く勘違いしたことか。吸い込まれそうなキラキラ。甘い声。聞き惚れる。芝居の中で歌を成立させるのに必要なのは「うまさ」だけじゃないけれど、松岡くんは一瞬にして「芝居」という枠を飛び越えてしまう力があって、それはやっぱり「歌うことで世界を背負ってる」人にしか出せないもののような気がする。マサオが劇中で「青空」を児童劇団の一幕として歌うシーンがあるけど、正面からゆっくりと彼が出てきて歌い出した瞬間に、回りの景色が吹っ飛ぶぐらいの完全な世界がそこにあって、だからこんな事言うと怒られるかもしれませんがもう生方さんのコーラスが邪魔で邪魔でしょうがなく聞こえてしまったり。それは芝居を創る側としてはいけないことなのかもしれないけど、彼にはやはりそれだけの力があるのだ。それにしても、「歩く花」でのあの姿はどうなんでしょうか(笑)あまりのあざとい可愛さにのたうち回りそうになった。松岡ファンに「ウチの松岡になんて格好させてんだよ!」と思われてやしないかとちょっとドキドキ。

この芝居の一番すごいところは、何より「舞台にライブの楽しさを持ち込んだ」ところだと思う。それは楽曲の力も勿論大きいけど、それだけじゃない。ブルーハーツがかかるだけであれだけ高揚するかといったら、そうじゃないからだ。月の爆撃機風船爆弾、終わらない歌と続く最後の構成、そしてあの「居ても立ってもいられない」高揚感はちょっと普通の舞台じゃ味わえない感じだ。舞台を見ていて味わう高揚感っていうのはある意味静かな高揚というか、理屈で裏打ちされた高揚感なんだけど、ライブって、もっと問答無用じゃないですか。なんつーか、「理屈じゃねえよ!」という感情がわき上がってくるんですよね。その正しいとか正しくないとか、そんなタテマエどうでもいいよ、という疾走感が舞台のクライマックスで楽曲の持つ疾走感とぴったりシンクロして、それに観客も見事に乗せられてしまう、という感じでした。基本的にスタオベで立ち上がるのさえ面倒くさい(よっぽど感動すれば別ですが、そんなの1年に1本あるかないか。大抵、前が立ち上がってしまうから立つんですけど)私ですけど、もうカーテンコールの終わらない歌から立って踊りたくて歌いたくてしょうがなかったですもん。この感じは、ミュージカルの歌に感動したときとかとはまた全然別で、やっぱりライブの楽しさだよなあと思うんだ。そういう興奮を「舞台らしくない」「芝居らしくない」と切り捨てることは私はしたくない。舞台にライブの楽しさがあってもいいじゃないか。最後に残るのは「なんか、楽しかったよ!」という興奮で、それだけで充分だしそれが一番大事なンじゃないのかなと、私は強く思うのです。