「なにわバタフライ」

  • シアタードラマシティ  3列14番
  • 作・演出  三谷幸喜

ミヤコ蝶々さんの半生をモデルにしたひとり舞台。馴染みの楽屋で自伝の出版のためにインタビューに訪れた若い記者に向かって、彼女が自分の人生を物語るというスタイル。最初は乗り気でなかった彼女だが、若い記者の「自分の舞台を見ている」という言葉に好感を持ち、そしてなぜだか記者のえくぼにほだされて、波瀾万丈の自分の人生を語り始める。

いやー面白かった、素晴らしかった!期待されて期待されて、それでも必ずその期待に応える三谷さんのすごさ、それについていく戸田恵子さんのすごさ。ああ堪能した、久しぶりに手が痛くなるほどカーテンコールで拍手を送りました。

一人芝居ではあるけれどもモノローグよりダイアローグを主体にした作り方で、違う視点から三谷さんの持ち味である「会話の面白さ」も味わえました。でもダイアローグであるからこそ、客にも集中力と想像力が求められるわけで、その点もがっつり噛みごたえのある舞台だなーというのを久々に味わえた感じ。小道具の使い方、照明の使い方には脱帽!!彼女の人生と深く関わった男性たちそれぞれを、そこに居ないのにキャラ立ちして見せるのはもうさすがだなとしか言いようなく。マリンバとパーカッションのシンプルな音楽と効果音がまた良いんだ〜。ナマで音を合わせてくれるなんて、ある意味豪華すぎる効果音じゃないだろうか。

二人目の夫と病院で別れるところ、笑顔で手を挙げて「最期のお別れ」をするシーンがたまらんかったなあ。彼女の恋の象徴だったえくぼの音が、ここではあんなにも哀しい。ベッドに見立てた姿見を引っ張りながら、「不幸を商売にする女と言われた」と告白するときの切なさ、愁嘆場で涙を零されるよりも、何かに耐えながら歯を食いしばる人間の姿の方が私は何倍もぐっときてしまいますね。第二部というか後半というか、彼女が着物を着替えてきたときに付き人とおぼしき「はるちゃん」に、「誰もおらへん、うちひとりや」と言いながら記者に話し続けるので、あれ?と思っていたんですが、それが「いっぺん練習せななんにも喋られへん臆病な女や」に繋がってくるんだよなあ。「相手役が見えない」ことを逆手に取った脚本の構成に脱帽。最後のシーンはだから本当の意味での「自問自答」なんだけど、それは壮絶な人生を送ったミヤコ蝶々さんだけでなく、女性ならみんな一度は自分に問いかけてみたことがある事のような気がします。誰かのせいにしながら、言い訳しながら、傷つくのが怖くて逃げてきたんじゃないか。でも、自分と自問自答しながら日々を積み重ねていくことだって、やっぱりそれは戦ってるんだと思うんです。やりたいことをがむしゃらに見つけることだけが勇気じゃない。父親に放り込まれた芸人の道だけれど、彼女はその道を誰よりも愛した。それが何よりも大事なことなのではないでしょうか。

微妙な声のトーンを駆使して、「現在」と「過去」を自由に行き来する戸田さんが本当にすごい。観客にも勿論想像力が求められますが、戸田さんがうまいので違和感なく舞台に集中することが出来ました。舞台の照明が消えた瞬間の沸騰するような拍手。カーテンコールの拍手鳴りやまず、スタオベする人、ブラボー!のかけ声、戸田さんの目には涙が浮かんでました。蝶々さんの地元大阪でのこの圧倒的な賞賛の拍手は、「なにわの女」を見事に演じあげた戸田さんへの何よりの花束になったのではないでしょうか。