劇作家・演出家の秋浜悟史さん死去

劇作家の秋浜悟史さん死去

秋浜 悟史さん(あきはま・さとし=劇作家、前兵庫県立ピッコロ劇団代表)は7月31日、転倒による脳挫傷で死去、71歳。通夜は2日午後7時、葬儀は3日正午から奈良市佐保台1の3574の4のならやま会館で。喪主は妻友子(ともこ)さん。自宅は奈良市右京3の1の13。
岩手県生まれ。69年に「幼児たちの後の祭り」で岸田戯曲賞受賞。94年に全国初の県立劇団として発足した兵庫県立ピッコロ劇団の初代代表を03年まで務めた。

私は不勉強にして氏の作品を拝見したことはないのですが、私に限らず劇団☆新感線のファンの方ならこの方のお名前を一度は聞いたことがあるのではと思います。
古田新太さん、いのうえひでのりさん、高田聖子さん、それぞれが番組のインタビューで秋浜さんのお名前を上げていらっしゃったのがすごく印象に残っています。古田さんがスタジオパークに出たときにお電話で出演されて、開口一番「相変わらず痩せないねえ」と、ファンがいちばん言いたかったことを言って下さり、心の中で拍手喝采でした。さすがの古田さんもぐうの音も出ず。
高田聖子さんが「深夜劇場へようこそ」のインタビューで仰っていた言葉は、私が役者に求めるもの、をそのまま表現して下さっていると思います。

横内「俳優っていうのはこれをやんないとダメでしょ、と思っていることはなんですか」
高田「躊躇しないってことですかね・・・。とりあえず、見せ物にしないとお金はもらえないから。例えばちょっと綺麗にやるとか、格好良くやるとか、面白い顔するとかそんだけじゃ申し訳ない。それプラスα、ちょっとしんどいことがないとダメかなって思いますね。
大学生の時、秋浜先生が皆で授業で芝居やってるときに「田舎芝居が・・・」とか言うんですよね。で「えっなんですか」って聞くと「あいつは今ね、気持ちいいんだよ、芝居をして。そんなのダメだよ。そんなの見るぐらいだったらね、ブリッジして何分もブルブル震えてるような人見てる方がずっと価値があるよ」って言うんですよ。でああそうかあって。なんかそういうちょっとギリギリな、精神的になのか肉体的になのか、そういうところがないと、ダメかなって思いますね。」

新感線の芝居の底にある「かっこつけている自分を笑う自分」というスタンスは、この人の影響が大きいのだろうなあなどと、部外者ながらいのうえひでのりさんの話を聞いてそんなことも思っておりました。



雑誌「大阪人」の2005年5月号は「特集・演劇の熱」と題して様々な大阪演劇人の記事が組まれていますが、その中に劇団太陽族の岩崎正裕さんと秋浜悟史さんの対談があります。大阪芸大を退官された氏は「ようやく締め切りや舞台を思い浮かべることから解放されて、何か書こうと思っている」と仰っておられ、それを受けて岩崎さんがこんなことを仰っていました。
「じゃあ先生の本が出来上がったら、大阪で「秋浜悟史祭」と銘打って卒業生たちの演出や出演で公演をしましょう。もちろん、内藤さんといのうえさん中心に演出をお願いして。」


それが叶わぬこととなってしまったのが残念です。
心よりご冥福をお祈りいたします。