「ヴァージニアウルフなんかこわくない?」

書いてるうちに普通にねたばれになってしまいました。以下要注意。

ヴァージニアウルフなんかこわくない、こわくない、こわくない、ヴァージニアウルフなんか・・・

重厚、がっつり3時間。3幕構成、休憩15分、10分。
長い芝居も翻訳物も得意ではないですが、見た甲斐のある3時間でした。良い作品と愛しい作品って必ずしも同じではないですけど、良い作品だったなーと思います。

休憩の間に買ったパンフをちらちら読んでいて、そこで主人公夫妻の名前がアメリカ初代大統領夫妻の名前であるという情報を知ってほおおおお、と。

教養も地位もある夫婦、だけど彼らはお互いを罵り合い、ダメな自分をさらけ出し、この傷を見ろと相手を責め続ける。そして本当にはいない妄想の息子を愛し続ける。

アメリカにとっての「妄想の息子」ってなんなんだろうなあ。

そうすると、ニックとハネーというものが指すものもなんなのか気になるところですな。若かりしころの、健康そのものアメリカ、だけど崩壊はすでに始まっているというところなのか。

私は英語が喋れないですけども、でも毎日仕事で「英語を話す人」と対面しなければならないのですが、ある時ふと「この人達こんなにしょっちゅうokとかfineとか繰り返すことに疲れたりしないのかな?」と思ったことがあります。深い意味なんてなくて、本当にただの慣用句なんでしょうけど、私だったらfineじゃないときはfineじゃないと言いたいよ、とかしょうもないことを思ってしまったわけです。

「本当はfineじゃない」ものを積み重ねていくことが、いつか大きな崩壊の引き金を弾くことになるのかもなああ、などと、マーサとジョージのやりとりを見ながら思ったりしました。

「潮時だ」と言って「本当にはいないもの」で繋がることから脱け出そうとする意思をジョージが見せて終わるラストがよかったです。

舞台側に設えられた客席で見たので、若干傾斜が緩く椅子に座っての演技が前の人の背で埋没してしまうところがあったのは残念。しかし、ゆっくり回転するセット、照明や音響はすごく好きな感じ。2幕の幕切れは個人的にすごくツボ。

4人ともいいバランスで、いい座組だなーと思いましたが、個人的にはやはり段田安則さんの力に感服つかまつりました、という感じでした。うまい。あの大竹しのぶを相手にしてここまで際だってみせる(しかも、オーバーアクトとはほど遠い演技で)とは・・・すごすぎです。翻訳劇にありがちな、「翻訳劇の台詞を喋ってます」的な空気が4人ともになかったのもよかった。これは翻訳家とケラさんの力も大きいかもですね。ともさかりえちゃん、今まで何本か舞台を拝見していますが、一番よかった。吾郎ちゃんはなんといってもしのぶさんといちゃつくところが最高、ああいう自然なラブシーン(ふざけて笑っておでこくっつけてキス)がはまっちゃうのがすごい。あと、笑いの間をちゃんと掴んでいたのも好印象でした。しのぶさんはまあ、今更言うこともないかと(笑)観客をあっという間に嵐の中に巻き込んでいく見事なマーサでございました。