「噂の男」

※あまり直接的なネタばれはしていないと思いますが、気になる方はお気をつけて。
橋本さとし橋本じゅん堺雅人山内圭哉八嶋智人。男5人芝居、だったはずなんだが、ふたを開けてみたら2人増えていた。より人の悪意をいやらしく際立たせるための変更なんでしょうなあ。

そもそもの「男5人」というスタート地点を変更することも辞さないほど、人のもつ矮小ないやらしさを突きつめた作品でした。2時間30分休憩なし。濃厚で見ごたえのある作品。

たとえば性善説性悪説かと言ったら、私は性善説をとるわけですが、それは「人は善きもの」だと思っているからではなくて、人は「悪いこと」だと自覚して悪い道を突き進むほど強くはないと思っているからなんですね。この世で人の犯した罪は大きければ大きいほど「理由付け」がはっきりしていて、それはたいてい「正義」という言葉で語られる。

しかし人間のそうではない悪意、ちょっとしたいたずら心、困らせてやりたいという衝動、人の成功を妬む気持ち、ぶつけどころのない苛立ちを弱者にぶつける卑怯さ、そういった日常の、どんな人間にもかならずある悪意には理由付けがない。そしてこの舞台に出てくる悪意は、どれもこれも矮小で、どんな理由付けもできない、だからこそ手のつけられない感情ばかりでした。

作者は違うが、ケラさんの「消失」では、登場人物の誰もに感情的に引っ張られるところがあったのだが、逆にこの芝居では「役柄に同調」的なことは一切ゆるさない、という感じで(同調してても、してたって言えねー!的なところもあるが)、見ていても「まあ見事にいやな気持ちにさせてくれましたね!」的なシーンの連続。じゅんさんが新人マネージャーをいびり倒すシーンとかさ、最初のシーンの山内さんとかさ、うっかりさとしさんに引っ張られそうになるとこれがたいしたタマだしさ、八嶋さんは最初からうざいしさ(関係ない)。

「笑い」というものの生み出す裏での壮絶さ、陰惨なシーンの真裏で観客が笑い続けているという皮肉。ラストの漫才で、観客の笑いがかぶさるのがぞっとするほどだった。

ちょっとだけ気になったのは、「悪意」が「殺意」にシフトチェンジしていくところが唐突だなーと思ったところがあったこと。ぼんちゃんもそうだし、鈴木支配人とか、殺意の発端はよくわかるんだけど、じゃあその後彼はアキラは死ぬしハムスターは殺されるしなのに、12年もモッしゃんをなぜ生かしてたのか?とか。生きながえさせることが復讐って感じにも見えなかったし。あの彼のイキオイなら、殺しかねなかったと思うんだけど。

殺意って究極の悪意かって言ったらそうじゃないと思うわけで、「殺意」に走らない物語というのもそれは本当にいやらしそうでいいかなとも思ってみたり。

紅一点の水野さん、すばらしい。ほんっとヤな感じ満載だった。見事な渡り合いっぷり。さとしさん、眼福〜〜〜、というようなお姿のときもありつつ、そんなステキングなお姿でゲロが出そうなほど「嫌人格」フル作動なところがちょっとした精神的SMプレイであった。才能があると言われながら実は誰よりも「もっしゃん」に圧倒的な何かがあると気づいているわけで、その焦燥感を弱者にぶつけるってあたりがもう・・・いやなやつだ!(笑)堺さん、ダブルのスーツ似合わねえ!(笑)あんた細いよ、細すぎるんだよ。でも女にぶちギレて髪の毛つかむとことか良かった。マネージャーくんのほうが個人的には好印象。切り替えうまいよね。従順そうに見えても、押し隠せない嫌らしさがあったよなあと。山内さん、弁髪にヅラが新鮮(笑)意外とまともな役だったのも新鮮。八嶋さん、キレている時の演技もさすがなのだが、うざいボイラーマンがふと「何かを知っている」と匂わせるときの空気が絶妙。じゅんさん、お見事。うまい、やっぱりこの人。堺さんをいじめる時のじゅんさんが余りに嫌らしいので本当に目を背けたくなりました。12年後のボケた「もっしゃん師匠」でのボケっぷりと、過去の「パンキチ」との切り替えもさすが。

見てていやな気持ちになるけど、つらい気持ちにはならないし、いやな気持ちにはなるけれど、そんな状況に笑ってしまうし、こういう話を見て「あーいやな話だったねー」と笑って帰れるというところが、人間の悪意の底知れなさかもしれませんな。