「イヌの日」阿佐ヶ谷スパイダース

*ねたばれ含みます。

2時間40分ぐらいあって、休憩なし。ものすごく集中力を必要とする芝居でした。長塚圭史自らが「ターニングポイント」と語る作品の、阿佐スパ初の再演もの。

自分の家の裏庭にある防空壕に、小学校の時の同級生たちを監禁してしまった男。留守中に彼らの世話を友人に頼むが、そこから世界が破綻しはじめる。

パンフレットの言葉を借りるのはちょっとフェアじゃないかもしれないですが、これは阿佐スパ製作の伊藤達哉さんが言うように、長塚さんの「理想郷もの」の流れを汲んでいる作品だよなあと思います。で、蛇足ながら付け加えると、私のなかで長塚作品のいまだにベスト1である「はたらくおとこ」も理想郷ものなんですよねえ。

セットの作り方が非常にリアルで、舞台を上下に分割し地下での監禁生活と、地上での(ある意味)監禁生活を並べて見せているわけですが、地下での押し殺したような空気が如実に伝わってきすぎて、見てるだけで息が詰まりそうになりました。かといって上は上で息詰まる生活が繰り広げられているわけで、いやもうホント見終わったあとドッと疲れが出てきましたもの。

監禁生活の主犯を母親に仕立て上げ、中津が4人の写真を撮るシーンで、実は泣きました。それはその前の、菊沢に中津が言う「笑えよ、・・・ヤッてねえと笑えねえか」のあとの洋介の台詞からなんですけど。「中津、菊沢の事好きなんだよな?お前、俺に言ったじゃん。放課後さあ、教室でさ、誰が好き?って言い合って、お前菊沢って言ったじゃん。俺えええって、意外でさああ、だって菊沢暗いじゃん、って、だけどお前菊沢が好きって、そんでおれすっげえいいな、ってそういうのすっげえいいなって思ったの。中津は菊沢が好き。おれは、中津が菊沢のことを好きなことが好き。」*1中津は「洋介。・・・・お前、何年前の話してるの?」と言って、菊沢の写真を撮り始める。それはまるで、恋人の写真を撮る行為、愛しているひとの写真を撮る行為と同じで、彼はこんな風にしか、好きなひとの写真を撮るなんて事すらできなくて、歪んではいるけど、でも確かに愛なんだよな。流れている音楽も、一見殺伐とした場面にはそぐわないと思えるほどに、優しくてきれいな旋律が流れる。暗闇の中でパチパチと光るカメラのフラッシュが哀しくて、このシーンでは涙を抑えることが出来なかった。

母親と「ちがう女」を創ろうとして、「きたないものばかりになった」外の世界と触れさせないようにして、中津はそれを物理的に可能にしようとしたけど、それが潰えたあと、彼はもう女性というものに、なんの敬意も抱かなくなってしまったかもしれない。ラストの暗闇で中津が見せる表情が、恐怖なのか後悔なのかは、私にはわかりませんでした。

初演は映像でしか見ていませんので、比較はできないと知りつつですが、個人的には再演のほうが話としてレベルがあがっているとは感じました。母親という存在を書き加えたことももちろんだし、個々の役者さんのレベルも違うし。ただ、ラストの余韻は初演は捨てがたいものがあると思う。

監禁という陰惨な事実と、そこでの生活のギャップ、外の自由な世界での陰惨な関係と、そこでの生活のギャップ。監禁された4人の描き方も見事で、まったくもって子供じみた他愛もなさと、「海行きたいね、山行きたいね、死にたいね、柴死にたくない?」というカウンターのような台詞を両立させているところが見事と言うしかない。心が子どもだからこその「お母さんでしょ?」の台詞にもどきっとさせられた。

役者さんはほんとうにカチッとはまった見事な芝居を見せてくれていて、誰がというのもないぐらいです。中山さんは初演も同じ役ですが、これを他に出来る人って想像できない、というぐらいすごかった。伊達さん、写真撮影の時背中で泣いていたなあ、あのシーンの伊達さんすっごい好きだ。八嶋さん、ああいう一瞬でテンションをマックスにもっていく技は得意中の得意だろうなあと思いつつ、終盤の眼鏡の奥に暗い光を湛えた演技はお見事。

この中のテーマひとつで作品1本書けるんじゃないの、と思うほど長塚作品の要素がぎゅっとつまった作品で、間違いなく長塚圭史というひとの代表作のひとつだよなあ、と思います。

*1:大意はこんな感じ。