「私はだれでしょう」こまつ座

こまつ座の舞台、今までなんどか拝見はしているのだけど、見るたびに「よくできた芝居だなあ」と思い、今回ももちろんそう思ったのですが・・・「よくできたお芝居を見ている」という枠の中に収まってしまうところがあるんですよねえ。いや、世の中の大半の芝居が「良く出来てもいない」事を考えれば、不遜な感想だと思いますけども。

戦後間もない頃のラジオの番組「尋ね人」を題材にしていて、その番組を作るため、名もなき沢山の人たちの声を届けるために自分の仕事、というものと向き合った人たちを描いています。

「手紙」というものの持つ一種の奥ゆかしさが大好きな私には、題材的にも興味深かったですし、託された言葉を形にしようとする彼ら彼女らの戦いには共感するところも多かったのですが、いまひとつぐっとつかまれる所がなかったんですよねえ。それは音楽劇というスタイルとも関係あるのかもしれませんが、台詞で積み重ねて感情が高ぶったところにぽん!と音楽が入ると、どうもそれに乗っていけないわけなんです。そこでもう一度感情の組立が始まってしまう。楽しいシーン、たとえばシャワーやステーキの歌、ヘギンズ中佐の歌なんかはすごく効果的だと思うんですけど、「たとえば・・・ソング」とか「ぶつかっていくだけ」なんかは、台詞で聞くか、もしくは、最初から圧倒的な歌で聞かせて欲しいと思ってしまうんだなあ。個人の好みの問題ではあるんですが。

役者さんは皆素晴らしかったですが、特に印象に残ったのは北村有起哉さんかな。組合戦士としてのはっちゃけたところもいいですが、去り際の静かな決意を秘めた様子を滲ませるところがよかった。

舞台そのものの感想からは少し外れるかもしれませんが、舞台の中で、中トロのにぎりを皆が美味しそうに頬張るシーンがあります。本当に美味しそうで、それが如何に貴重なものなのかというのはひしひしと伝わって来るのですが、それはなにも今の時代から遠く離れた昔の話ではなく、私の父や母が(父は戦前生まれ、母は戦中生まれ)経験した話なんだとふと思うと、この時間の流れる速さはなんなんだろうか、とちょっとぞっとする思いがしました。だって今、少なくともこの舞台を見に来るような人の中には、中トロの鮨を食べたことがないなんて人はいないんですものね。あっという間にここまで来てしまった、だからこの先「誰であるべきなのか」という問いかけが求められているのかもしれません。