「ビューティークイーン・オブ・リナーン」

マクドナー&長塚圭史の組み合わせは「ウィー・トーマス」「ピローマン」に続いて3作目ですが、この二人はやっぱり相性がいいんだなあと思います。15分の休憩を含む2時間40分の舞台、登場人物は4人。キャスティングを聞いた段階で誰もが「一筋縄ではいかない濃さ」を醸し出した作品になることを予想したと思いますが、その期待に応える作品になっていると思います。

ウィー・トーマスの初演のとき、このお芝居の中で「悲惨さの針の振り切れ具合」みたいなものが本来ならもっと笑いを生みだすはずだったんじゃないか、と思ったんだけど、ウィー・トーマスのときはその悲惨さだけが際だっていたのが、今回はその「悲惨すぎるあまりの笑い」がちゃんと実現されていた。それはこの2大女優の力量がもちろん大きいのでしょうが、長塚さんの演出の手腕もあるのかなあと思う。

モーリーンという人物に共感をしようと思えば一山いくらでできるほどその要素はふんだんにあるのだけど、そういった湿ったつくりにしていないのもすごくよかった。

この親子の関係は簡単に言ってしまえば「相互依存」みたいなことなのかもしれないけれど、そんな言葉で片づけたくない濃い感情のやりとりをきちんと描いていたなあと思う。愛するも憎むも同じこと、という言葉が終演後頭をよぎりました。

以下ちょっと相当具体的なねたばれ、未見の方は回避で
最後のシーンのモーリーンとレイの会話で、その前のシーンでのモーリーンの独白が妄想だったことがわかるわけだけれど、モーリーンは間に合わなかった憎しみゆえにマグを殺したのか、自分の妄想に酔うあまり、「君のすきにするといいよ」の言葉に酔うあまりに行為に及んだのか、自分としては後者だと思うんだけど、だとしたらレイの「パドはタクシーで行ったんだよ」の言葉は残酷すぎる一撃だよなあと思った。

劇中で「この歌の最後でおばあさんは寝ているだけだと思う?死んだんだと思う?」と聞かれていた歌が、誰もいないのに揺れ続けるロッキングチェアーと重なるところは、死んだはずのマグがまだいるようでもあり、モーリーンの未来を暗示しているようでもあり、そのロッキングチェアーがぴたっと止まった瞬間に暗転になるあの演出にはちょっと鳥肌でした。

白石加代子大竹しのぶ、この二人ががっつり舞台の上で文字通り火花を散らすというのを見るだけでも、チケット代の価値はあるだろう、と思わせる見事さ。必見。田中哲司さんのパドも、田中さんもどっちかというと「裏側」を感じさせるのがうまい役者さんだけれど、モーリーンにとっての救世主としての存在感は充分。急遽代役となった長塚さんのレイは、うん、一生懸命かわいくやってたなあ、と思います(笑)