「グローブ・ジャングル」虚構の劇団

「虚構の劇団」旗揚げ公演。「監視カメラが・・・」は拝見していないので、この役者陣を見るのはまさに今回が初めてです。

最初は、出かけるつもりじゃありませんでした。理由はいろいろです。劇団を旗揚げするのはいいことだ、と思っていました。鴻上さんは本当に辛抱強く役者を育てるということに長けた人だと思うし、なによりそういった「濃い感情のやりとり」が交錯するところにいることが、基本的に好きな人だろうと思っていたからです。それでも準備公演は観に行かなかった。
理由はいろいろです。

事件の発端となるコミケでのバイトのblogの件。あのblogが話題になったことは、当然私も知っていました。ネットをやっていて、ほんのすこし偏ったところを見に行くひとなら、大抵の人が実際にそのblogを訪れないまでも、その話を知っている人は圧倒的な数字になるでしょう。今でも、ほんの少しのキーワードで検索を実行すれば、その文面をコピーしたどこかしらのblogを見つけることができます。

実際、その文面を今読んでみても、くしくも劇中で言われる「バカなブログ女」そのもののように思えます。そのブログが多くの人の怒りに火をつけ、加虐心を煽ったのも、言ってしまえば「身から出たサビ」のように思えます。けれどそれは、その文面から勝手にその人物像を創り上げた、自分の想像に対するものでしかない。そのLANケーブルの向こうにいる、どこにでもいる一人の女の子、もしかしたら、自分と通じるところのあるかもしれない一人の女の子、そのリアルな相手に対する「身から出たサビ」という言葉ではない。それが、インターネットというものが、もっとも残酷で最低なメディアたりえる大きな理由のひとつだと思います。

鴻上さんは、「2ちゃんねる」が登場する遙か以前から、「完全匿名、書き込み自由、削除なし」を掲げた一大インターネットツールの出現を予想していました。多くの演劇人はネットを利用こそすれ、その裏側の泥沼については表現とは無縁の便所の落書きとして歯牙にもかけない方が殆どですし、それが正しい姿なのかもとも思います。でも鴻上さんはその泥沼に敏感なひとだった。ずっとそうでした。
だからこれは、そんな鴻上さんだからこそ書けた芝居なんだろうと思います。私にはなによりも、その事が嬉しかった。本当に。

手癖で書いているよなあ、と思うところもあります。登場人物の中に、男性でも女性でもないニュートラルな「語り手」を配しているところ、元気で、前向きなようで、その実深く傷ついたことを隠そうとする女性たち、勢いと思い込みで暴走してしまう登場人物。でも、それらの枠組みを超えたパワーが、やはり若い役者たちにはありました。これは、第三舞台ではできないよね。山崎さんはやはり一日の長という感じで見ていて一番安心感がありましたが、自分の中では、鬼ヶ島へ向かうシークエンスで、4人が見せたダンス、その中央で踊っていた小野川晶さんの目の強さに、とても惹かれるものがありました。

劇団のblogには鴻上さんの「ごあいさつ」が掲載されています。時代ですよね。でも、実際に劇場で配られた「ごあいさつ」はそれとは全然違う文面のものでした。そのごあいさつの最後の文。27年前と同じ、彼の「大胆すぎるささやかな願い」。

あなたがこの旗揚げ公演を見たと語るだけで、カウンターの片隅で見知らぬ人と10分間の幸福なお酒を飲めるだけの持続と魅力を作るつもりです。

おかえりなさい。