「sisters」

  • パルコ劇場 F列23番
  • 作・演出 長塚圭史

好き嫌い、良い悪いという言葉よりも見終わった後浮かんでくるのは「すごい作品」だってことだった。ラスト、最後の台詞のあとに暗転した瞬間、観客が大きく息をついてこぞって姿勢を動かすのがわかった。ものすごい緊張と緩和。実際呼吸を止めてみていたわけではないけれど、自分が呼吸していたことを忘れさせる。

以下ネタバレ。これから見る予定の方は読まない方がいいと思います。見る予定がなくて、見られる環境にある方は、是非見に行ってください。
因縁めいた古めかしいホテルの一室が舞台。異なる二つの部屋での進行を、絶妙に被らせながら見せていくやり方は非常に効果的。小道具の使い方、空間の使い方、この間のビューティークイーンでもそうだったが、長塚さんの演出はどんどん洗練されてきているなと思う。

そして今回、個人的にこれはちょっと今までの長塚さんと違うな、と思ったのは台詞の洗練度合い、言葉の美しさだった。皆こともなげにこなしているが、それはこの役者陣がハイレベルだからであって、力のない人にはとても乗りこなせないだろうと思われる台詞があちこちにあった。これは前作「失われた時間を求めて」の影響もあるような気がします。礼二が信助との対話の中で言う、生と死を一瞬一瞬選び取っているなんてことがあるだろうか、人生とはもっと曖昧な、くだらない、惰性の選択で成り立っているというところ、信助と馨の対話の中で、信助が「料理という仕事」について語るときなどは、特に心に残った。食べる方と食べられる方について語っていた台詞(すごくいい台詞だったのに、今思い出せない)は、それはそのまま芸術の仕事についての言葉でもあって、「だから厨房を客に見せる調理師は信用できない」という台詞は、長塚さんの思いを代弁しているようでもあった。

前半の、謎を散りばめていく展開ももちろんいいが、やはりこの芝居は終盤の、馨と美鳥、馨と礼二の応酬にトドメをさす。まるでギリシアの対話劇でもあるかのような、それぞれの経験に裏打ちされたそれぞれの理論で相手を追い詰めていく。性的虐待なのか、人と人との関係なのか。おそろしいのは、心情的に馨に心を寄せてみているにも関わらず、礼二は本当に果たして怪物なのか、と二人の応酬を聞いていると心が揺れてくることだ。馨が最後の切り札を切ることで、決着をみたような形にはなっているが、しかしその後礼二と美鳥が選んだ「選択」は、果たして馨が期待したものだったのかどうか。

最後のシーンに光を見るかどうかは、それは人それぞれ、としか言えないだろう。この作品で描かれていることそのものに嫌悪感を抱くひともいるだろうし、そういった虐待を受けてなおすれすれの行為を求めてしまう気持ちを、わかるというひとも、まったくわからない、というひともいるだろう。信助は馨にきっぱりという、帰ろう、我が家へ。馨が信助の言葉に反応するのは、かならず彼が声を荒げたあとだ。馨は支配されることでしか安心できないのか?そうかもしれない。でも、私個人は、たとえそうでも、この二人の間には違う時間が流れるのではないか、そういう未来もあるのではないか、と思うことができた。それは前半の二人のシーン、きみは時々ガツンとくる、ちょっと辛口の料理だと言った信助、途中で席を立ってもいいのよと言った馨に、最後まで食べると決めて席に着いたんだというあのシーンの誠実さが、それを信じさせてくれたのだと思う。

6人の役者はまったくもってすばらしい。梅沢さんの達者さ、まことさんの絶妙な矮小さ。田中哲司さんはたったひとりニュートラルなまま、観客にもキャラクターにも誠実なまま信助という人間を演じきった。馨ともっとも激しい攻防をおくった吉田鋼太郎さんのすさまじいともいえる台詞術、そして説得力。曼珠沙華そのままのような、毒々しくも美しい少女(年齢的にはそうではないが、この物語のなかでは明らかにそのポジションにおかれている)を演じた鈴木杏は、あの松たか子に一歩も引けをとらず、その華を舞台で咲かせていた。そして松たか子。すごい女優だ。彼女の演技に対する、好き嫌いは当然あるだろう。だけど、あの終盤、そもそもの「事の起こり」を語っていく彼女から目が離せる人は、そうはいないはずだ。あの圧倒的な牽引力。自分に視線を引きつけさせて離さない、その力。タフで、一瞬で色を変えていくその声。まったく見事だった。女優の仕事、というのを見させて貰ったな、と思います。

長塚さんは秋から英国留学。パンフにもあったが「孤独の一年間」を手に入れた長塚さんが帰ってきた後に手がける作品を、楽しみにしています。