くくれぬ気持ち

書きたいことがまとまるかどうかわかんないんですけど、とりあえず思いつくまま書いてみます。
鬱陶しいので、畳んだ方がよさげ。
その先日のオンバト総集編について、私が巡回させていただいているblogでもかなりの方が触れられていて、なんだろうね、「ラーメンズ」ってもののもつ引力について改めて思い知ったなあと思いました。勿論私もその引力に引っ張られ続けているわけですけど、ただ私個人に関しては、小林賢太郎というひとや、「ラーメンズ」に対しては、どこかで勝負を降りてしまった、という感じがあるんですね。勝負っていうのはまったく適切ではない喩えなのだけど、深く彼らと付き合う、彼らに心を寄せて考える、ということを、どこかで降りた。「降りよう!」と思って降りたわけではなくて(愛情の反対は無関心であるから、降りよう!なんて思ってる内は永劫降りられない)、気付いたら、いつのまにか降りていた。彼らを見始めた当初は、それなりに必死で、過去のセル作品、出版物、ネットにあげられていた過去公演のレポ、そういったものを必死においかけていたし、彼らの仕事をもらさずみてやろうというような貪欲さが確かに存在していたのですが、ふと気付いたら私にとってラーメンズは「出来るだけ見たいと思う」「好きなコントユニット」みたいなカッコ書きでくくれるふうになっていたんです。そのキッカケや原因はまったく不明で、ほんとに自分でもよくわかりません。
そういう、「降りた」視線で見ているからかもしれないのだけど、私には小林賢太郎という人が「昔と変わっちゃった」とは、思えないんだよなあ、ってのがあります。KKPというかれの「芝居」に対しての好き嫌いとか、ソロライブに対しての好き嫌いというのはありますが(どうして芝居になるとあんな「いい話ふう」にまとめたがるのかっていうのは逆にすごい興味ある)、私にとって小林賢太郎というひとは、かつて「コントしかできませんが、コントにはなんでもできると信じています」と語ったひとそのままで、「TEXT」の舞台から受け取ったのも、そういう「コントの持つ力への信頼」というようなものが大きかった、そう思います。
だから私はやっぱり小林賢太郎という人が好きだし、片桐仁という人が好きだし、もちろんラーメンズが好きです。でもその「好き」は、カッコ書きでくくれるような「好き」なんですよね。
ラーメンズや、小林さんや、片桐さんの周りには、まだ勝負を降りていない、まだカッコ書きで感情を語るなんてできない、そういうファンが多分沢山居て、でもその気持ちは、すごくよくわかるんですよ。なぜなら私にも、もういい加減降りたい、どこかで気持ちをまとめてしまいたい、と思う対象があるからです。もうほんと、しんどいし、めんどくさい。いろいろ考えすぎて、好きなんだか嫌いなんだかもわかんない。なのにぬけだせない。これってなんなんでしょうか。あんたアタシのなんなのさ、そんな気にもなろうというもんです。でもそれは、降りていないからこその特権・・・じゃないけど、それほどまでに心を寄せているがゆえの感情なんですよね。
私自身も最近とみにそう思うのだけど、肝心なのはそういった感情を持つことそのものじゃなくて、その感情に目が眩んで、目の前で起こっていることを見逃したり、見ないフリをすることなんじゃないのかななんて思います。観客は観客の文法でしか舞台を見ない、それでもちろんいいのだけど、でもそれで心のシャッターを下ろして、あとで後悔するのはやっぱり自分自身なんだと思う。他人が心血注いで創ったものを受け取るときは、せめてできるだけフラットにいたい。いつも初めて出会うように。すごい、何言ってるか自分でもわかんなくなってきた。でもそう思います、自分への自戒も込めて、難しいけど、ほんとに難しいことだけれど。
ともあれ、なにはさておき待望の本公演です。坐して待っていたらチケットが転がり込んでくるんだったらいいんですけどそうもいかないので、フットワーク軽く待っていたい所存。楽しみです!