「二月大歌舞伎 十七代目中村勘三郎二十三回忌追善 昼の部」

鷹と狐の戦いを踊りで見せる。普通に考えるとなんともシュールなんですが、それが見てるとさほど違和感なしに見られるのが不思議。歌舞伎の世界では人間が動物を演じる、ってのが割と普通にあるよね。セリから勘太郎くんの狐が出て来たとき思わずなんという男前か・・・!とふるえる思いがしたんですがこれはお医者さまでも草津の湯でもというやつですか。そうですか。それはさておき(おくな)、勘太郎くんの踊りはどんな体勢でも重心がぶれないので見ていて安心感があるよなあ、としみじみ思いました。

  • 俊寛

俊寛、実は苦手な演目なんですよ。でもすごくよくかかる芝居じゃないですか。だから公演選ぶときでも、俊寛のある方は避けて・・・とかしてたの今まで。この昼の部も見るかどうか迷ったの。まあでも勘三郎さんの俊寛を歌舞伎座で見ておくのもいいか、と思ったのだ。いいか、どころじゃなかった。
めちゃくちゃよかった。
ごうごう泣いた。
今まで、どうしてもその筋書きにのっていけない自分がいたんだけど、勘三郎さんの俊寛てどことなく陽性な気がするんですよね。だから瀬尾の持ってきた赦免状に自分の名前がない!というときの嘆きっぷりと、一転千鳥が船に乗れない、とわかったときの意地の張りようとか、なんかどっちも腑に落ちる感じがあるんですよ。
その俊寛が島に残る、と決意して、瀬尾を斬ってしまうところ、そして船が動き出して、おーい、おーいと声をかけ続ける俊寛。遠ざかる声。それでも呼び続ける俊寛の声。舞台の縁ぎりぎりまで出て来て、遠くを見やっておーい、おーいと叫ぶ俊寛。船からの声はもう、ほとんど聞こえない。おーい、おーい。ぱたり、と俊寛の身体が揺れる、附け打ちの音、大向こうの一糸乱れぬ「中村屋!」の声。しびれた。しびれたなんてもんじゃなかった。
しかもそのあと、諦めようと背を向けた俊寛が、見ないと決めていたはずなのに覆った手の隙間から船を見つけてしまう、思わず駆け出す俊寛、そこに「思い切っても凡夫心」。ええもう泣くしかないだろこんなん。
最後、岩の上にあがって遠くを見やるその一瞬まで、自分に視線を引きつけさせて絶対にそれを離さない、という見事な牽引力。素晴らしい。こういうのを「役者の仕事」というのだ。感服つかまつりました!

  • 口上

芝翫さまが体調不良のためお休み・・・口上のとき、勘三郎さんだったかなあ「病気療養のため」と仰っていた気がしたけど、どこかお悪いのかしら。心配です。
先代勘三郎丈の思い出話を皆さん語られたんですが、口を揃えて「かわいらしい方だった」と仰っていたのが印象的でした。そして私の目の前が仁左衛門さまと玉三郎さまでこの目の正月っぷりたるや。まぶすぃ。

  • ぢいさんばあさん

非常にかわいらしい作品でした。も、こんな可愛らしい話があっていいのかああああ!ぐらいのかわいらしさ。そしてニザさま玉さまの可愛さ炸裂っぷりハンパない。すごいよほんと・・・見て欲しいよコレいろんな人に。男のかわいらしさとは、こう!女のかわいらしさとは、これ!っていう見本市ですかここは。玉さまの「んー、それあたしのほくろ」にはもう悶絶するかと思いました。もちろん波瀾万丈あって、切ない思いもあるのですが、最後にはまた可愛らしさ炸裂で終わるっていう・・・。ホント顔がにやけてどうしようかと思いました私。最強最高のデレを見た。そして玉さまの老け役が本気入りすぎててすごいです。