「広島に原爆を落とす日」

久しぶりに見るつかさんの作品が、「追悼公演」になってしまった。小説版を戯曲化した今回の作品は、もとが小説だったということもあってか、よりつかさんの出自への思いがストレートに表れた舞台になっていたと思います。

ひとつひとつの、極端とも言えるシュチュエーション、そして台詞の数々。ああ、つかさんだな、つかさんの作品だなと私は何度も思い、しかし同時に、つかさんが演出された舞台で感じることが出来た、その極端な状況の中から浮かび上がってくる情熱、衝動の波にのまれる、というようなことはなかったなあ、ということも感じました。それがマジックだとするなら、やはりあれはつかマジックというものなのかもしれないなあとも。

しかし、そのつか作品へのオマージュという意味では充分に素晴らしい舞台だったと思いますし、つかさんの匂い、というようなものを堪能させてもらえたなあと思います。やっぱりどんな記憶を掘り起こすよりも、あの独特の台詞たちを聴くことで体に、心に甦ってくるものの方が圧倒的なんですよね。

武田さんや山本亨さんの常連組の存在がこの「つか作品」の匂いを醸し出すのに素晴らしい仕事をなさっていたなあと。山口紗弥加さんはメインの役所よりも、回想シーンでの切り替えと口跡が印象的。

がっちがちに詰め込んでいるので、もっと余白があってもいいのになという気もしましたが、そのがっちがちの時間の中でまさにマシンガンのように台詞を繰り出し、かつ誰よりも届かせていた筧さんはやはり見事でした。筧さんならとうぜんこれぐらいはやってくれる、と皆思ってるし、その期待値に平然と答えてこそ筧利夫だ!とも思いますが(鬼や!)、やはりああいう情熱を体現させて右に出るものはいない、と思います。そうそう、そういえば左手の佇まい(わかりにくくてすまん)が気になったな。あれは役作り?

それにしても、この追悼公演で、つかさんの魂ともいうべき台詞の数々を筧さんに言ってもらえて良かった。心から、そう思います。

カーテンコールで一度幕がおり、再びあがると、誰もいないステージにスポットライトが当たっていて、それはもちろん、今は亡き偉大な劇作家、演出家であるつかこうへいさんに捧げられたもので、いちだんと大きな拍手が送られていた。

ありがとう。
そして、おつかれさまでした。