「時計じかけのオレンジ」

映画はいちおう拝見しております。でも見た動機が不純極まりないので*1肩身は狭いんですけれども。

映画版の中でももっとも有名なシーンのひとつと思われる、「雨に歌えば」をバックに老作家の家に押し入り乱暴と陵辱の限りを尽くす、というシーン、河原さんすげえなと思ったのはここでハンディカメラをキャストに持たせ、その映像をバックのLEDに映す、という演出をしていたことです。しかもそのカメラは一瞬客席もとらえるので、映像を通じて鏡を使ったような絵になるんですね。絵空事という了解だから見ていられる舞台に自分(たち)の姿が映り、しかも老作家の妻を犯そうとする映像が大写しに映し出される。ただあのシーンの再現をするよりも数十倍インパクトを与える演出だよなあと思いました。

人を殴る音、蹴る音、傷つける音、そういった効果音をすべて、現実とはかけ離れた甲高い金属音で見せていたこともそうですが、「いかに人を落ち着かない気持ちにさせるか」という点でさすがだなあと思うアイデアがいくつもあった気がします。好みは分かれるでしょうが(私も決して得意な方ではないです・笑)、世界観を提示する演出家としてはすごいなあと素直に思いました。

劇中で何度か「原作の筋書きを演じてやっている」という、どこかメタ構造を意識させる台詞が出てきます。この芝居のラスト、もう暴力には飽きた、これは若さというもののもたらす一種の熱病のようなものだ、とする原作のラストを一通り演じて見せたあと「この筋書きを演じてやったぜ、あとはみなさんのご自由に」とアレックスが言うわけですが、舞台版の脚本をなぞりながらも、おそらくは心中キューブリックの映画版を愛する河原さんなりの「仕掛け」なのかなとも思ったり。

吉田鋼太郎さんとキムラ緑子さんの芸達者ぶりが随所で光ってましたねえ。遠目の席だったので、ドルーグな方々は小栗くん以外ちょっと見分けがつかず。そして遠目でも一瞬で判別できるのが山内圭哉さんと橋本さとしさん(笑)小栗くん、個人的には人格を改造されている間の「選択を喪った」アレックスのほうがしっくりくる感じがありました。

*1:アレックスのコートが見たかったからなんてとても言えない(言っとるがな)