「金閣寺」

  • 愛知県芸術センター大ホール 2階7列15番
  • 演出 宮本亜門 原作翻案 セルジュ・ラモット 台本 伊藤ちひろ

愛知県芸術劇場は何回か来てるんですけど大ホールのほうは初めてでございます。5階席まであるというからどんなんかと思ってたんですが、入ってみたら想像していたのと違ったというか、2階席は通常のホールの1階席後方といった方が近いような感じ。3階のバルコニーあたりとか距離も近いし高さもないしめちゃくちゃ見やすい席だったのではないでしょうか。

宮本亜門さんの演出したミュージカルは何本か拝見してるんですけど、ストレートプレイは初めて。いや、意外といえば意外な舞台作りでした。かなり技巧的でもあるし、なにもない殺風景な教室からすべての風景を立ち上げていくあたり、亜門さんの今まで拝見した舞台とはかなりイメージが違いました。今回の作品はセルジュ・ラモットという方が原作翻案となっていますが、どのあたりまで戯曲の指定なのかも気になるところですが、亜門さんのなかのアングラ的なものへの憧れが垣間見えるようでもあったなあと。

禅寺の様子を描いていくところで、あれっこれもしかして振付は小野寺さんじゃないのか、と思ったらビンゴでしたね。いや、あの新聞紙の見せ方と机を動かして道にしていく動き、あれはものすごく特徴的でした。なにもないところですべての風景を見せていくので、スタッフワークがすごく重要なポジションを占めていると思うんですけど、さすがにKAATの柿落とし作品というか、公共ホールの本気というか、最高級のスタッフを集めているなと。振付の小野寺さんもそうですし、照明の沢田さんの仕事っぷりもすばらしかったです。

舞台作品としてはまさに見応えのある作品だったなと思いますが、個人的な好みを言えばもう少しこちらにボールを投げてくれる部分があってもいいかなとは思ったかなあ。いやでも、そういうのがないからこそ清潔感のあるいい舞台に仕上がったのかなという気もするし、難しいですね。

「血は立ったまま眠っている」での森田くんがとてもよかったし、やっぱり「何かを喪っていない」青年をやらせてみたくなる感じがあるんでしょうね。どれだけ小さな声で話している(ように聞かせている)シーンでも、声にニュアンスがとても良く乗るタイプなので、これだけの広さを持つ会場でもしっかり客席を掴んでいるのが実感できてよかったです。柏木と「世界を変えるのは行為か、それとも認識か」の議論を交わすところもよかったですが、いちばん好きなのは最後の、タバコの火をつけて佇むところかな。あそこはよかった。台詞はほとんどないが、溝口が何かを喪ったことが全身からたちのぼってくるようだった。

あとこの金閣寺の舞台でもっとも特筆すべきことは「金閣寺」を象徴する「役」を具現化して見せていることだと思うんですけど、その役をやったのが山川冬樹さんだったんですが、もうミーハー的なことを言わせてもらえば顔から身体から髪型から声からもうドンズバ好みですし、最後にはその圧倒的な存在感を放つ「金閣寺」と溝口が相対する場面でのカタルシスはすごかったです。いやあもうカーテンコール山川さんばっか見てたマジで。

昨日のソワレを拝見して、明けて今日6日、この「金閣寺」が今夏のリンカーンフェスティバルに参加することが決まったとのこと、おめでとうございます。いや、これはもしかしたら海外の方が高評価を受ける作品かもしれないなと思います。最初の翻案からすでにある意味「三島由紀夫」ではなく「MISHIMA」となってる部分もあるのでしょうし、演出も大胆で身体性に依る部分が大きいので受け入れられやすいかも。リンカーンフェス、平成中村座が参加したときにNYまで行ったなあ。懐かしい。この「金閣寺」の座組にとってもいい夏になるといいですね。