「夏祭浪花鑑」桜壽博多座大歌舞伎

個人的にまったく逡巡しなかったわけではないですが、先週の土曜日、博多座へいってきました。来たからにはもちろん思いっきり楽しむにきまってるじゃねえかよおお!ということで持てる熱視線のすべてを愛する役者に捧げてきたのことよ。ビームのように。ぺかー。

テレビでやってくれた特集で姿をみたときには、うっこれは思ったよりも線が細く見えるなあというのが第一印象だったのですが、実際に観てみるとその印象はほとんどなかったです。何よりもあの鳥居前で床から出てくるときの男前っぷりたるや…!脳内が「ヤバイ男前ヤバイ男前何この人ヤバイ男前すぎる」と連呼してましたマジで。あの手首の細さ…うっとり。

扇子でパタパタと扇ぐ場面とか、その扇子を閉じたときの手のきれいさとか、あの、手首から人差し指にかけての筋がね、扇子をもつと際立つじゃないですか、あれをもうほんと舐めるように見てたっていうかむしろ舐めたかったっていう(以下自粛

もう台詞をおぼえてしまうほどに勘三郎さんの団七が馴染んでいるので、比較しなかったといったらうそになりますしむしろ積極的に比較していたようなところもありますが、いい悪いではなく一番ちがうなと思ったのは、勘三郎さんの団七には瞬間瞬間にちょっと説明できない引力みたいなものが現れるときがあって、その理屈じゃない魅せ方、魅力というようなものはやっぱり勘三郎さんならではなのだなあと。対して勘太郎くんの役は心情の流れがものすごくよくくみ取れるように立ち上げていってるなあとおもいました。

長町裏での義平次とのやりとりは、さすがに勘三郎さんと笹野さんの息の合い方をおもうと食い足りないところもありましたが、しかし「男の生き面を」の憤怒の思いに身を任せてしまうところあたりから、この物語で描かれる真夏の夜の殺人劇が匂い立つようでとてもよかった。殺陣の合間にすーっ、すーっと団七の吐く息の音だけが響くあたりはかなり劇的なシーンだったと思います。花道で見得をきる勘太郎くんがほんとに目の前だったんですけど、冗談抜きでクラクラするほどに男前でしたし、あの横顔(花道横の席だったので)を思い返すだけでマジ愚息も昇天ですって何言ってるの私落ち着いて。

テレビの特集でも言っていたけれど、ほんとうに声はつらそうだった。ここぞというところできれいに出せないのは本人にとってもつらかろうなあと思う。ハードスケジュールだったしね…。でもその分身体のキレは凄まじかったし、気迫で勘太郎くんの身体が大きく見えるような気さえしました。

ラストシーンは、わたしの分類によれば今回は「俺たちに明日はない」型(笑)。しかし、わたしが見逃したドイツでの「夏祭」をちょっと思い出させるようなところもあり。舞台奥に駆けていくところはいつも通りなんですけど、そこで搬入口の扉にぶつかり、叫べども開かず、いったん絶望する、というシーンがあって、そこから舞台のほうに振り返って駆けてくる、そしてストップモーション

大詰めの立ち回りのいちばんの山場ともいうべき梯子での見得、下から勘太郎くんの姿を見上げていたけれど、あの瞬間の言葉にならない感じは忘れがたい。胸熱とはこういうことなのか、わたしの気持ちを言葉にむりやり変換するなら、かれの、自分は芸術でたたかっていくのだという決意をあの瞬間受け取ったというような、そんな気持ちになりました。

わたしの左右とも東京からいらした熱心なファンのかたで、カーテンコールのときに勘太郎くんが一礼したとき、思わず客同士で手を取り「よかったねえ、がんばったねええ」とぷち円陣のようになったのはいい思い出です(笑)

正直、わたしが歌舞伎を見るようになってから、こんなにも空席のある舞台ははじめてだったかもしれません。でも、カーテンコールで松也さんが仰った、今は大変な時期だからこそ、ぼくらは博多からすこしでも笑顔を発信していきたい、そのために皆一生懸命この舞台をつとめます、という言葉に起こった満場の拍手の暖かさはほんとうに心に残るものでした。