「わが星」ままごと

  • 千種文化小劇場 全席自由
  • 作・演出 柴幸男

何から書いていいのかよくわからない。

とにかくすばらしい舞台だった。自分が演劇好きであるということが心の底からうれしくなる舞台だった。演劇でしかできないことを、演劇でしかできないやり方でこんなにも鮮やかに見せてくれた。まだ北九州公演と伊丹公演が予定されています。もう、いいから、だまされたと思って観に行って。そしてこれから観に行くつもりのひとは、ここから先の文章を読まないで下さい。
千種文化小劇場には初めて行きました。なんというすばらしい劇場!ここもっとみんな使いなよ!特にスズカツさんとか絶対好きだと思うよここ…(なんでスズカツさん限定)(いや青山円形を彷彿とさせるからですかね)。

わが星、何かの暗喩なのではなく、文字通り、「わが星」のことなのだった。ひとつの星が生まれてから消えていくまでを、□□□の「00:00:00」をモチーフに、縮小し、または拡大してみせていく。それはまるで人間の一生のようでもあり、逆に人間の一生が星の一生のようでもある。

一定のリズムのなかで歌うように刻まれる台詞たち、少しずつずれては繰り返される言葉が、終盤には美しい結晶となってきらきらと降りそそぐようでした。生まれて出会ってぶつかって離れてそして死んでいく。星も人も。

先生からの電話がかかってくるところ、もしかしたらいつかの僕が間に合うかもしれない、間に合わないかもしれない、間に合ったらそのときにはどうかよろしくと伝えてという場面から、正直なところ私は涙が止まりませんでした。そしてそれは次のシーンの月ちゃんの手紙で完全に暴発してしまったわけですが、どこか恬淡とした佇まいの舞台のなかで、月ちゃんとのシーンはとてもエモーショナルに描かれていて、だからこそコップにいっぱいになっていた感情の波がいっきにあふれ出てしまったんだと思います。ずっと言えなかったこと、明日言う、明後日言う、1年後に言う、でもわたしは言えないかもしれない、だからお手紙に書きました、ちーちゃんに内緒で入れたもののことを告げる月ちゃんの声、忘れることができない。

そして最後に、いつかの僕がちーちゃんの前に現れる。ずっと見ていたから、ひとめ自分の目で見たかった、校則も光速も超えていつかの僕は「間に合った」。それはまるで奇跡のようだ。人も星も。

傾いた身体と伸ばした手、そして訪れる漆黒の闇。おやすみ。おやすみ。

その瞬間、どうしてなのか自分でもわからないのだけれど、どうしようもなく気持ちが揺さぶられてしまって、もしもそこが自分の部屋だったなら、私はきっとおいおいと泣き伏してしまっただろうとおもう。それは無理矢理言葉にすれば「切なさ」というものにうたれたからなのかもしれないけれど、でもやっぱりあの自分の感情の動きを、うまく言葉にすることができそうにない。

シンプルな舞台装置も、照明も(暗転の美しさには唸った、久しぶりに理想とする暗転を見た)、そしてなんといってもこの芝居の根幹を成す音楽も、本当に本当にすばらしかった。役者もスタッフもすべて、まずなによりも「作品」にすべてが尽くされているという感じだった。「ちーちゃん」をやった端田さんは声にどこかノスタルジックなところがあって、冒頭の台詞からすでに私の涙腺をがんがんに緩めてくださったことです。

お父さんとお母さんが一日を語っていくシーンとても好きだったなー、働いて働いて働いて、こここそわが星わが家。

美しい台詞がいっぱいあって、美しいシーンがいっぱいあって、美しい誕生と美しい死があって、そのなかのきらめきを、うんとうんと拡大して拡大して見せてくれた舞台でした。

本当にすばらしい舞台だった。この感想を書き終わったら、頂いたアポロチョコを食べることにしよう。月ちゃんの手紙を思い出しながら。