「CLOUD」

すでにハードリピートされている何人かのフォロワーさんのアドバイスにしたがって開演の15分前にはすでに着席していました。Bブロック。最前列。円形の舞台上に置かれたクラウドたち(透明のビニールの中に、白い風船。微妙なおもりが入っていて浮き上がりそうで浮き上がらない)をぼんやり眺めていると、そのうちのひとつがつつつと滑るように足元に。ううっ、どうすればいいのかな、と思っていると演出助手の方が回収にきました。滑るように舞台に戻す。でも、開演までに(開演してからも)何回か足元にクラウドがやってきました。生き物みたいね、あれ。

まったく関係のないことですけど、その前日に見ていたライブは客出しがレノンのstand by meだったのですよ。それで、私は昨日と今日がレノンで繋がるなとひとりごちていたのです。

真っ白なクラウドの中に佇むオガワ、照射する白いライト、クラウドがレフ板の役割を果たして一瞬花火のように白くすべてが浮き上がる、そのなかでたったひとり黒く佇むエンドウの姿。なんというかっこいいオープニング、もうこれだけで心のどこかが満足してしまうようなかっこよさ。これだ、これだよなあ…!

冒頭でどこか、雑踏のSEを使ったところがあったのだけど、その瞬間頭の中でWOWOWで放送されたLYNXの映像が、Tom Traubert's Bluesが流れる中インサートされた雑踏の風景が甦ってきて、その時点で私はどこかこの芝居を、LYNXと重ねて観ていたところがあったとおもう。

舞台の中にラインは二つあった。オガワが誰かと語るときのライン、そして、まるでオガワそのものと繋がっているかのような中央のライン。中央のラインは何を示しているのか、そのラインが繋がれたところから始まり、最後には接続が解かれて終わる。全部がオガワの描いていたライフログであるともいえるみたいだ。ライフログを書くということは人生を捏造するということ、という台詞があった、気がする。

オガワがオンライン上に現れて、誰かいませんか、と声をかけるシーンの切実さがとても胸に残った。この切実さは、ネットが普及し、twitterSNSが普及し、いつでも、だれかが、どこかで、「誰かいませんか」と叫んでいる今だからこその切実さで、それは私も決して例外ではないのだ。

そう思ってみれば、LYNXはひとりの人間の頭のなかをのぞき込んでいたけれど、今は頭の中ではなく、頭の中を仮託したコンピューターの中をのぞき込むことになるんだな。すごく違うようで、何も変わらない。

逮捕を退治といい、悪貨は駆逐されるべきだと言い放つイタバシに、オガワが銃口を向けたときから、私は多分たったひとつのことを思っていて、実際にそれが叶ったとき、つまり、エンドウがイタバシを撃ち、そして、俺を撃ってくれとオガワに頼んだその瞬間に、どうしようもなく涙がこぼれてしまったのだった。誰を愛している?撃て、という台詞が頭の中で何度も響いた。

引き出しの中に入っていたはずの記憶が、そんな風にあちこちに顔を出しては消え、そしてまた顔を出しというような1時間30分だったなあと思います。もうねえ、見終わったあと、頭がぱんっぱんになってたもの。今見たものと記憶とが反応し合って火花散らしてるみたいな、そんな感じ。

円形なので、ということは一方向からしか見られないわけで、だから欲を言えばもう1回違う角度からも見てみたかったなあとおもいますが、まあそれはしょうがない。遠征者の宿命ですし、一度でも見られたことが何より大事だし、見えなかったからこそ思い描いたものもあるしね。それに、円形劇場というのはそのハンデを補ってあまりある魅力ある劇場ですもの。

男芝居、円形、鈴木勝秀、という要素を全部ミキサーの中に入れると「間違いない!」ってものが出来上がるのではないかと思うほど、すばらしい仕上がりの舞台でした。オープニングもさることながら、相変わらず完璧に美しい暗転、音響の巧みさ、選曲の妙、そして魅力ある役者。この中では山岸門人くんだけが初見でしたが、粟根さんとの日替わりアドリブ部分も含め、そして見事なピルエットと腹筋(浩介さんのいじわるw)に惚れ惚れしました。いやあの役者たちのなかであの佇まいをキープするってすごいよ。他の芝居でも観てみたくなりました。

イタバシを演じた粟根さん、もう隅から隅までいいんだけど、なによりクライマックスでエンドウのこめかみに音もなく銃口を突きつけてからの芝居が絶品!!動きのなめらかさ、しなやかさ、狂気を感じさせないがゆえに空恐ろしく見える表情、そしてあの声。あんな粟根さんの声聞いたことない。一方で「おばさんとは」を縷々語っているときのイキイキさ加減たるやっていうね!常に三つ揃いでお出ましという部分(あと眼鏡なしの短髪)も含めて、粟根まことファンには必見の舞台でしたなあ。

50歳になったオガワと、そうなる前のエンドウ。田口トモロヲさんがいい声爆弾なのは言わずもがなで、ヨタロウさんとふたりオンラインで会話するときのあの声の深さ、もうずっと聞いていたいって思ったもんなあ。またあのシーンの台詞がいいんだよ…あそこでフラッシュバックしちゃったんだよな、とにかく憎め、憎めば到達できる、あたりの台詞からがさあ。イタバシに震える手で銃口を向けながらトモロヲさんは泣いていて、エンドウを起こして身体をさすりながら泣いていて、それを見ていたら本当にたまらない気持ちになった。

今回「50歳のオガワ」という設定のなかで、スズカツさんはエンドウの年齢を上げなかった。だからなのかもしれないが、ものすごくエンドウの心情に引っ張られて観たところがあるようにおもう。あんなにも迷えるエンドウを初めて見たからかもしれない。鈴木浩介さんは7年前のLYNXでウサミを演じていたんだけど、そういうリンクもまた楽しい。浩介さん…よかったなあ。なんかもう、ちょっと恋に落ちそうなほどによかった。もともと好きな役者さんではあるけれど、もっと好きになったよーはーもうどうしてくれよう。ラストシーンのオガワとエンドウ見たさにもう1回当日券に並ぼうか!とか考えたのは内緒の方向で!

ネット、というものと不可分の芝居だったということもあって、今後もCLOUDのサイト、twittertumblrで各種告知があるような動きですのでゆるゆると追いかけていきたい所存。中でも台本のダウンロードを予定されているのはうれしいなあ。でもって、スズカツさんが「いずれ再演したい、LYNXと同時公演とか、新たなオガワとか」とtweetされていたのがなにより一番うれしいよ!生きる楽しみができたってもんだよ!大袈裟でなく!