今週の清盛

第28回「友の子、友の妻」。

まあ、ごうごう泣いてしまったわけなんですけど。

保元の乱のときも思ったけど、戦いそのものよりもその後の人間模様をふくんだ戦後処理を描いた回にダントツ輝くものがあるような気がしますこのドラマ。

今回で義朝退場となったわけですが、ほんと何度も言うけど私いままで玉木さんそんなにぴんと来てなかったん。かっこいいし、男前だし、いいかんじのひとだなーと思うけれどもそこどまりだったの。でも玉木さんの義朝には心をつかまれまくりました。ことにかれが自分の中の弱さをのぞかせる場面、たまらんものがあったなーと思います。その反動の修羅のような顔もまた印象深い。正清と向かい合う刹那の顔、すごくよかった。いっとき義朝の側を離れていた正清が帰ってきてくれたときの義朝のうれしそうな顔とかほんとまざまざと思い出すよ。

その死の一報を聞いた後、皆には見せなかったあの清盛の顔。そっと深く息を吐き出すようなあの顔。叫び出す寸前のようなあの顔。

昔から、清廉潔白とか純粋とかいう言葉を纏ったひとよりも、どこかに陰を感じるひとが、清濁合わせ飲むひとが、なにかを成し遂げるためなら他者からの揶揄を意に介さないひとが好きでした。自分がそういう力を持てなかったかもしれない。この世の中で真に怖いことは力をもつこと、そしてその力をもったときは、それに相応しい器を持たねばならない。だからこそ、力を持つ、と決めたひとに対する憧憬の念が私の中にあるのかもしれないです。

沙汰を待つ頼朝が、まことの武士がまやかしの武士に負けたという。そんな世の中は見たくない、早くその太刀で斬ってくれと。清盛がかけた言葉が、頼朝に対してのものだったのか、その向こうにいる亡き友に対してのものだったのか、どちらであったとしても、あの言葉の重さに変わりはないと思う。

お前はそれで気が済むだろう
ただ一心に太刀を振り回し 武士として生き 武士として死んだ
そう思うておるのだろう
だがおれはどうだ
俺はこの先も生きていかねばならぬ
お前のいないこの世で 武士が頂に立つ世を切り開いていかねばならぬのだ
それがいかに苦しいことかわかるか
いかに空しいことかわかるか
だが俺は乗り越える
乗り越えてこその武士じゃ
醜きことに塗れようと必ずこの世の頂きに立つ
途中で降りた愚かなお前が見ることのなかった景色をこの目で見てやる
その時こそ思い知れ
源氏は平氏に負けたのだと

だからそんなわたしがこんな台詞を聞いて、ごうごう泣かないでいられるわけないって話です。