「東京裁判」パラドックス定数

  • pit 北/区域 全席自由
  • 作・演出 野木萌葱

初めての劇場。その名のとおり、洞穴を奥に奥にめぐるように地下深くに設えられたテーブルと5つの椅子、そしてそれを取り囲む客席。そしてその中央のテーブルには極東国際軍事裁判の主任弁護団が座ることになる。

東京裁判、即ち極東国際軍事裁判を題材にとった作品ですが、いわゆる裁判もの、弁護士ものという感覚は薄いです。それはなによりもこの結末のことを、たとえ詳しくはなくてもうっすらと皆「わかっている」からでもありますが、法の解釈、ロジックの積み重ね、相手の論旨の隙を突く弁論、そういったものを打ち返してあまりある高い壁が、この「東京裁判」には存在しているからです。主任弁護団の口から何度か自嘲気味に語られる「こんなもんなんですよ」という言葉。それは決して投げやりなものではなく、もうそうとしかいいようのないものが、彼らの前に立ちふさがっているのだ。

その壁を前にした5人の弁護団が、戦勝国による事後法を適用した軍事裁判という苦しい立場の中で、言葉によって活路を見出そうとするうちに、彼らそれぞれの「戦争」が浮かび上がってくる脚本がとにかく素晴らしい。はっきりと全ては説明しないが、観客に想像させる十分な余地を残して、彼らは戦争を、そして責任を、そして罪とは何かを掘り下げていく。

中でも印象的だったのは、罪状認否で無罪と言いたがらなかった被告たちの話をするうちに、罪と責任はどう違うのか、と彼らが語り合うシーンです。法律があるから罪なのです、とひとりが言います。責任があるからといって罪に問うことはできない。ではこの巨大すぎるものごとの「罪」はいったいどこにあるのか?そしてそれが「責任」によるものだとしたならば、被告席に立つべき人間はこの28人だけではないのではないか?

管轄権動議が無残にも打ち砕かれたあとの、「救いましょう。全員です」という言葉にはぐっときました。その結末を知ってはいても。

ワンシュチュエーション、音楽は一切なし、照明の変化も最終盤の1回だけ。テーブルを囲んだ男たちの侃々諤々のやりとりは、それでも十分すぎるほどに劇的でありました。身動ぎもせずに見守った1時間50分。堪能しました。