「落語版・笑の大学」

twitterで上演情報が流れてきて、検索したら名古屋でもやる!きゅぴーん!といそいそ発売日にチケットおさえてました。さん生師匠の「天狗裁き」、たけ平さんの「扇の的」のあと中入りがあって「笑の大学」という構成。

天狗裁き」、個人的にこの手の物語が大好きなんですよね私(笑)絵本の「てぶくろ」を彷彿とさせる。どんどんどんどん大きくなっていって、それが頂点に達したところでぱんっ!と弾ける。しかもどこか無限ループを思わせるサゲ。きゃー!好みすぎる。展開がうっすらわかってきてから加速していく感じがたまらないですね。

「扇の的」は今清盛にずっぱまりの私にはタイムリーすぎる噺でした。有名な那須与一のあのお話ですね。さりげなく義朝パパの女好きエピソードとかも差し挟まれて思わず玉木義朝と常磐のシーンとか回想しちゃったり。しかしこの噺の見どころはやっぱり那須与一が呼び出されてから扇を射るまでの語り、あの「平家物語」を講談調にまさにべんべんと語っていくところですよねえ!あれはかっこいい!あっ、もうちょっと長く聞きたい…!とか思ってしまいましたもの。

そして「笑の大学」。基本的には、あの舞台の構成ほぼそのまんまです。削っているところも勿論ありますが、ムサシのエピソードや向坂が警官の動きを思いついたりするのもそのまま。1時間超、これをすべてひとりで物語っていく話術のすごさ、向坂と椿がまったく違う貌をしているように見えてくるすごさ、堪能しました。そしてやっぱり、この作品は改めて傑作だなと思い知らされた感じがあります。

椿というのはやっぱりどこか三谷さんを彷彿とさせる人物像なので、どんな制約も受け入れて書こうと思ったと述懐する椿の心情はまさに三谷さんそのもののようにどうしても見えてしまいます。そう、ものすごく印象的なあのやりとりもそのままでした。「ひとに笑ってもらうために僕は書いているんです」「まだおわかり頂けないようですね。ただ笑うだけの芝居なら上演する必要ないんだ。三回、繰り返しましょうか。お国のため、お国のため、お国のため」。

落語版でも、あの赤い手紙(赤い手ぬぐいを出されてました)がきてからの劇場全体がぐっと引き締まる感じは変わらないですね。落ちも、なるほどここか!と膝を打つ思いでした。この作品がいろんなフォーマットで再生され続けるのは、やはり物語としてものすごく強い骨格をもっているんだなあと実感しました。