何も言えない

今日、勘三郎さんの葬儀が行われた。あの日からもう一週間。
でも、まだどこか遠い世界のことのような気がするときがある。
NHKで放送された追悼番組で三津五郎さんや渡辺えりさんが口々に仰った「まだ偲べない」「思い出とか語りたくない」という言葉や、椎名林檎さんの「亡くなったって信じてないからこうしてテレビでお答えできてる」という言葉に実感をもって頷くファンのかたも多いのではないだろうか。

自分がここに書き留めた舞台の感想を遡っていると、思っていたよりも多くの舞台を拝見していたんだなと改めて気がつかされる。おそらく、この10年間でもっとも舞台で拝見した方ではないだろうかとおもう。それはとりもなおさず歌舞伎の興行がそれだけ常に行われているからということだし、それだけ勘三郎さんが精力的に魅力ある舞台を作り続けてらっしゃったからということもあるだろう。

最初に拝見したのは野田さんと組んだ「研辰の討たれ」だが、私にとって決定打となったのはその翌年の扇町公園で観た平成中村座「夏祭浪花鑑」だった。あのラストシーンで、劇場を、私たちを背に緑の丘に消えていく団七の背中は今でも忘れがたい。

自分が今まで書いてきた感想を読んで思うのは、いつも「この先」のことを考えさせてくれるひとだったなあということだ。勘三郎さんはいつも「次」の話をした。昨日より明日の、先月より来月の、去年より来年の、そして時にはもっと先の未来のことを語っていた。だから今まで観てきた舞台よりも、これから観るであろう舞台のことにいつも胸をときめかせていられたし、そして実際に勘三郎さんはそのインフラ化していく観客の予想を裏切り、期待に応え続けてくれていたのだった。

だから私たちはいつも猛スピードで突っ走る勘三郎さんを必死で追いかけていたし、その進行方向はいつだって「未来」しかなかった。アクセルを全開にしてもまだ追いつけないのではないかというようなスピードで勘三郎さんはずっと走ってきた。

だから突然、この先にはもうなにもありません、と言われても私たちにはどうすることもできない。ご病気という一報があってさえも、多少スピードを緩めはしてもこの先にある未来に走っていくことをどこかで疑っていなかった。今でも果たして本当にブレーキを踏んで良いのかどうかわからないような状態でいる。本当にこの先にはなにもないの?ほんとうに?

ブレーキをかけて、停車して、方向を変えて、そしてこの先は「これから」ではなく「これまで」のことだけを見ていくということが果たしてできるようになるんだろうか。

振り返っても思い出は多すぎて、近すぎて、やっぱり茫洋としたままだ。浮かんでくるのは、やっぱりあの扇町公園での、遠く小さくなっていく団七の、勘三郎さんの後ろ姿だけだ。あの時の、生命力と躍動感に満ちた背中。それを過去形で語らなければならないということさえ、今はまだつらい。