「ドレッサー」

「ドレッサー」という舞台自体、その映画も、拝見したことがありませんでした。予備知識一切なし。一切なしな私が観に行って中盤で驚愕した理由を察しのいい方はきっとお気づきでしょう。そう、私はとある舞台を思い出したからです。東京サンシャインボーイズ時代の名作、「ショウ・マスト・ゴー・オン」を。

最近はもう基本的にパンフは買わない、と決めているのですが終演後思わず買いに走ってしまいました。絶対ショウマストゴーオンのこと書いてるに違いないと思ったからです。三谷さん曰く、この作品の嵐のシーンがお気に入りで、「この1シーンだけで1本書ける」と思って書き上げたのが「ショウマスト〜」だったとのこと。そしてパンフに94年の再演の舞台写真が…!

基本的にこの舞台は、座長と呼ばれる老俳優とその付き人、ノーマンの二人の台詞の応酬で成立していて、場面も中心となるのは座長の楽屋がほとんどです。場面がいわゆる舞台の「ソデ」に移るのは中盤のほんの短い時間だけ。しかしながら、この短い時間での見せ方がもう圧倒的にうまいんですよ。三谷さんご自身もそういう認識をお持ちなんじゃないかと思いますし、もちろん好きなあまり1本の舞台を(それも傑作を)作り上げてしまうほどですから楽しんでやってらっしゃる感じもひしひしと伝わってきます。だって座長をソデから舞台へ送り出すそのわずか10分ほどのシーンで、最後には観客が思わず拍手までしてしまうんですから、さすがとしか言い様ない。

逆にいうと前半の、もう精神も肉体も限界にきている老俳優を鼓舞させ、なだめすかし、ありとあらゆる面倒を看て舞台に送り出すまでと、その舞台を終えたあとを較べると、やっぱりその中盤に最高潮が来てしまっている感があるんですよね。付き人ノーマンが彼の腹の中を少しずつさらけ出し、ついにはいろんなものを、もしかしたらすべてを喪ってしまうまでが、長いエピローグのようにも思えてしまう。哀れみなんていらない、ここは決してどん底などではない、とノーマンが訴えかけるシーンは素晴らしかったですし、座長と夫人とのやりとりもよかったのですが、それより何より中盤が良すぎる。良すぎるのです。

「ベッジ・パードン」を見たときに、大泉洋さんと三谷脚本(演出)のあまりの親和性の高さに驚喜し、これは絶対三谷さん、また大泉さんと舞台で組むに違いない、と思っていたのでこの話がきたときは「やっぱりなー!」って感じでした。いやTSBの、そう、それも「ショウ・マスト・ゴー・オン」の劇場中継を見て「演劇って面白い!」と開眼したというのもむべなるかなのはまりっぷり。パンフで大泉さんが、三谷さんが梶原善さんに「善」って呼びかけるの見るだけで興奮する、ちょっと危ないファンですねボク、と仰っていたのがんもー、気持ちわかるううう!って感じでますます好きになっちゃうじゃんよ大泉さん。あれだけ振り回されてもちっとも「かわいそう」に見えない、どこかしたたかでけれどもろい、ノーマンという人物を実に魅力的に演じてらっしゃいました。

キャストはほんっと言うことないというか、言うことあるとすれば「もったいねえよー!」ってことぐらいです。善さん*1と浅野さんが揃っているのにー!とか、銀粉蝶さんに秋山姐さんに紙ちゃんなのにー!と地団駄踏みそうになりますが、しかし芯をとっているヅメさんと大泉さんが素晴らしいのでうんまあまあ、これはこれで、とか納得させられちゃいますね。橋爪さんやっぱり格段にうまい。それに何あの声。硬軟自在とはこのことか。

ああしかし、寝た子を起こすじゃないけれど、「ショウ・マスト・ゴー・オン」再演しないかなあなどとまたイケナイ虫にとりつかれております。大泉さんに作家の役とかいいなー、「そんなの誰もわかんない!」って地団駄踏んでもらいたい。夢はふくらむばかりです。

*1:三谷さんと舞台で組むのは13年ぶりとのこと、びっくり!ってことは「彦馬」以来だったんですねえ