「非常の人 何ぞ非常に」

平賀源内と杉田玄白を描いた物語、というぼんやりした前知識ぐらいで出かけていったので、冒頭のあと一幕の場面がいきなり陰間茶屋でそこに無闇に背の高い陰間が呼ばれてすったもんだする、的な展開にん?と思っていたのですが、あれですね、もう全体的に本が薄いトーンが感じられる舞台でしたね…ってそれはお前が色眼鏡(まさに!)で見ているからじゃ!と言われれば平伏するしかありません。でへへへ。

いや、っていうかあれだよ、その陰間の菊千代と源内の共依存というか、同病相憐れむというか、そのどこかべったりしたふたりよりもだよ、終始「友情」というものを挟んで向かい合う玄白と源内の方がよっぽど火に油だよね…とか思いましたヨ!ちゅーとかしちゃう(しちゃうんです)ふたりよりも玄白と源内がおでこくっつけそうな勢いで笑ってるシーンの方がより萌えるっていうこの現象に早く誰か名前をつけて下さい。って私何言ってんだ。

男5人芝居、となると女性がいないだけに不在の「女」の色合いが濃くなる、というのが割と多い気がするんですけど、基本的に「男子いかに生くべきか」的なところが焦点にあるせいもあって女の匂いを感じない作品だったなーと思います。二幕の源内の長台詞は、なんだかまるで「山月記」の李徴を彷彿とさせる述懐でした。蔵さん文字通りの熱演。

歴史トリビア的なところは割と忠実みたいで、源内の末路も(諸説あるにせよ)事実に即したものですが、あの平賀源内がそういう最後を遂げたということはまったく知りませんでした。あなたの死を本当に悼むことができるのは今この世にはいない、100年、200年後の人間がその死をやっと心から惜しむことができるだろう、という台詞は切ないものがありましたね。

蔵之介さんが源内、岡本健一さんが玄白、小柳友さんが菊千代という陰間を演じるほかは篠井さんと奥田さんがすべての役を入れ替わり立ち替わり演じることになっていて、特に篠井さんは「ベッジ・パードン」の浅野さんもかくや、な八面六臂ぶり。しかし中でも陰間茶屋の女将と歌舞伎の女形役はまさに堂に入ったとはこのことか、でひとりホンモノの輝きを見せておられました。

個人的にこの芝居でぐりぐりの◎をつけたいのは岡本健一さん!んもーすばらしい!特に1幕2場の「ターヘルアナトミア」の翻訳に四苦八苦する様を淳庵役の奥田さんと二人して面白おかしく見せる様は個人的にこの舞台の白眉といってよく、ふたりの呼吸といいその苦心惨憺するさまのおかしさ切なさといい言うことなしでした。いつも穏やかで一歩引いているけど言うことわりと毒あるよね、なキャラもすごくはまっていて、まったくもって役の幅の広さに感服します。

タイトルになっているのは杉田玄白が記した源内の墓碑の言葉で、最後にタイトルの意味がなるほどと腑に落ちるのは好きな構成でした。

「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」
(ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや)