「かもめ」

言わずとしれたチェーホフの四大戯曲の1本。ケラさんが手がけられると聞いたときから楽しみにしていました!このキャストでまっとうにがんばればまっとうにチケットが入手できたのもSISならびにケラさんの意向あってのことだったのかなーと感謝。

相当年季の入った芝居好きでもチェーホフはな〜、と敬遠する向きもあると聞きますが、いやー、これほんと面白かったです…!何よりもまず「面白かった」という感想が一番に出てきます。上演時間は休憩15分を含む2時間40分とケラさんにしてはコンパクトでしたが、上演時間以上の濃密さがあった舞台でした。

「かもめ」をチェーホフは「4幕の喜劇」と書いていて、この物語をどうして「喜劇」としたかの古今東西さまざまな解釈(「チェーホフの喜劇問題」)が飛び交っているという、それがまずもうちょっと面白いですよね。「悲劇」と書いていればこんなことは起こらなかったわけで、こうした幅広い解釈も出てこなかったかもしれない。だって誰もハムレットを「喜劇」だという人はいないもの。

目が滑る、という表現があるけれど、芝居でも似たような感覚の現象が、つまり「耳が滑る」ってことがありませんか。とくに古典や翻訳物を見ているときに起こりがちで、それは役者の力量不足だったり、演出の力量不足だったり、あるいは単にこちらの集中力が途切れてたりといったことなんだけど、言葉は聞こえているけれど、何を言っているのか言葉がまったく身体に入ってこない。届かない、ってやつです。これに陥るとかなりの割合でその芝居の体感時間が長くなる。

今回の「かもめ」ではそういうストレスがまったくなくて、なんて言えばいいのか…会話が濃密なんですよね。少しの間、少しのタイミング、そういうところに神経が行き届いているというか。観念的な言葉が続く長台詞でもその緩急とちょっとしたアクセントでこちらの集中を切らさない。あと、これは「ヴァージニアウルフなんかこわくない?」をケラさんが演出された時も思ったんですが「今、翻訳物の台詞を喋ってます」的な違和感が会話の中にない。これってやっぱりケラさんの神経が細かいところまで行き届いているからなんだろうなー。

いやほんと、まっとうに面白かったんですよ。なんだこれ、こんなに面白い脚本だったのか。このひとたちときたらまるで自己憐憫と自己陶酔のミルフィーユじゃないか。いやそもそも恋というものが自己憐憫と自己陶酔から出来てるのか。トレープレフが引き金を引く理由がよくわかるというか、えっなんで?とはまったく思わなかった。トレープレフはあわれなかもめに、あわれなニーナに、自分が持てるものとして憐れみをもたらすことを夢に見ていたんじゃなかろうか。捨てられて、落ちぶれて、自分にすがるニーナ、かつて自分を裏切ったニーナを暖かく迎える自分を、トレープレフがいちども想像しなかったとは思えない。けれど実際のところ、持てるものは自分ではなくてニーナだったのだ。こんな、こんな、こんな哀しくて可笑しいことってあるだろうか。

なんてことを考えてしまうほど、ずっぱまって見ました。喜劇かどうかはわからないけど、確かにこれは悲劇じゃない。

まさに実力派、と太鼓判を押したくなるキャストの皆様ももちろんさすが。アルカージナの大竹しのぶさん、そういえば「ロマンス」でもアルカージナの台詞を言うシーンがあったっけ。トリゴーリンを見事に投げ飛ばすところや、乱高下するテンションと過剰さを「面白み」としてみせるうまさは見事でした。浅野さんがかつて浮き名を流しまくった2枚目、というファンにはすばらしく目の保養になる役でほんっとありがとうございます。蒼井優ちゃん、この間新感線で見たときはちょっとムムム、だったんだけど、今回は三幕までの薄っぺらさといい四幕のどこか境界線上に踏みとどまるようなあやうさとしたたかさといい、さすがだなーと思わされました。トリゴーリンの萬斎さんも、いかにも作家然とした佇まい(中島敦を彷彿とさせる…!)で酷薄なところとか、好きな感じでした。斗真くんのトレープレフ、可哀想すぎない感じがとてもよい。四幕の佇まい、特に好きです。あのニーナの告白を聞いているときの表情!でもってここだけの話、カーテンコールで3回目に出てきた時に眼鏡を外したんですけど、あの生田斗真が眼前で髪なでつけて眼鏡かけてるだけでも目の保養どころの騒ぎじゃないのに、眼鏡外す仕草までサービスとは!もう!俺の心の印画紙に今、焼き付けた!と静かに荒ぶりましたオホホホ。

いやーこれ、年一のペースでケラさんが四大戯曲を順に演出されるというのが俄然楽しみになってきました!願わくば、今後の作品もチケットが取れますように(願)