「唐版・滝の白糸」

いつもいい席をありがとうシアターメイト(もうないけど)、と思って行ったら前2列潰しの最前で座席にはビニールシートと注意書き。蜷川さんだから当然予測しておくべきだった。舞台終盤に水や血のりが飛んでくる場合がございます、と言われましたが、水はいいけど血のりは困る(笑)

唐さんの舞台なので、こちらはもうお腹を出して降参のポーズじゃないけれど、「もうどうとでもして!」という姿勢であのスペクタクルともいうべき展開に身を委ねるばかりでありました。誰も乗っていない自転車、箪笥を運ぶ2人の男、宙を飛ぶ三輪車、風に揺れる衣紋掛け、そういうものがこれ以上ない!という構図でキマるシーンの数々を堪能させて頂きました。

生まれ変わるというのか、死と再生というのか、もう一度「生まれ直す」というイメージに満ちた舞台でもありましたね。銀メガネとアリダのやりとりや、羊水屋との対話もそうだし、なにより最後のシーンのイメージが強烈にそれを示唆していたような。

個人的にもっともぐっときたのは、お甲を訪ねてくるミゼットプロレスの面々が、日が西に沈む、じゃあ東に向かって歩くぞといって歩き出すシーン。みんなの影がだんだん長くなっていって、彼らは手を振って背伸びしてみせる。「自分のお腹のあたりを踏めるんじゃないかって気がするんだ。」抒情というものを一瞬に凝縮したような、宝石のように美しいシーンでした。

それにしても、平幹二朗さんの銀メガネすばらしかったな。あれだけ濃い劇世界の中にあって、あんなにも「芝居してる」って空気を出さずに場を支配するのってすごすぎる。銀メガネとアリダのやりとり、あの2人のただならぬ雰囲気も含めてもっともっと見ていたいって気持ちにさせられたものなあ。羊水屋の鳥山正克さんの異様とも言える佇まいもよかったし、大空さんのきりっとした空気感も好きな感じ。

舞台で観て好きになった役者さんをテレビで見る、っていう方が個人的には多いので、窪田くんのようにテレビで見て気になって、舞台を観る、というパターンに慣れてなくて始まる前ムダに緊張しました(笑)でもテレビで見ていて、いいなと思ったそのまんまの良さが舞台でも発揮されていたんじゃないかなあと思います。自分を捨てることができる役者さんだなあと思ったし、それが自分としてはうれしかったなー。ラストで文字通り血に染まったアリダの目は完全にここではないどこかを見ていて、もっといろんな役を演じているところが見てみたいなあと改めて思いました。