「抜け目のない未亡人」

原作は18世紀イタリアの喜劇作家の戯曲で、中世のヴェネツィアを舞台に「リッチな未亡人がもう一花咲かせようと奮闘する」顛末を描いたものだそうですが、今回三谷さんがそれを現代に置き換えて、「ヴェネツィア国際映画祭」に集まった「一流よりちょっと下」の映画人たちと、高齢の夫に先立たれたかつての名女優の復帰作を巡る顛末、にしているんですよね。その置き換え自体はすごくうまくいっているとおもいます。再婚を目指す、よりはかつての名声よふたたび、と夢見る女優のほうがしっくり見られるというか。

ただ、おそらくもとの戯曲の眼目でもあったろうと想像する「英国人」「フランス人」「イタリア人」「スペイン人」に対する風刺のおもしろさ、みたいなのはちょっと薄まってしまっているかなあと思いました。衣装からしステレオタイプなチョイスですし、キャラクターの造形もわざと「らしさ」を強調しているにしては、そのらしさゆえのおかしみ、みたいなものが出てきてない。枠組みをここまで変えているわけだから、この4ヶ国にこだわらなくてもよかったのでは?という気もします。

それにしても、例によってちゃんとキャストの全体像を把握しないで見ていたのですが、んまー豪華な布陣すぎて誰か出てくるたびに新鮮に驚いていたわたしですよ。復帰作をめぐるドタバタを演じる4人の映画監督がアッキー岡健カッツミー、そして段田さんて!そして岡健さんにもアッキーにもちょこっとしか歌わせない、この焦らしプレイ。いやもうキャストが皆、あたりまえのように達者で、いやあすごいなあみなさん…と思いながら、どこかで「暇を持て余した神々の遊びのようだ…」とか思ったりして。皆、芝居に良くも悪くもすごく余裕があって、この空間を今俺が(私が)埋めてやる、的な娑婆っ気が薄い気がしたんだよなあ。そういう意味では、八嶋さんと峯村リエさんのおふたりに一番そういう娑婆っ気を感じたし、この二人を見ているのが一番たのしかったです。

しかし大竹さんに「きれいなだけでなんにもできない女優」への毒を思いっきり吐かせてたのには笑いました。笑いました。「女優」への台詞だから、三谷さんの思いも相当入っているんでしょうか、あそこ(笑)

そういえば新国立の前9列、通路前をまるっと潰して舞台にしていたのには驚いた。せっかくの中劇場なのだからあの独特の奥行きを活かしたセットや演出で観てみたかった気もしますが、まああれを使いこなすのはなかなか難しいですよね。