「ハムレット」

昨年の暮れにEテレでやっていた「100分de名著 ハムレット」がすんげえ面白くて、その助けもあって個人的にものすごく楽しんで観られた「ハムレット」でした。芝居を見始めた頃は「なにがおもしろいんだか正直ワカンネ」とか思ってたので、これも寄る年波なんでしょうか(大人になったと言えヨ)。

ただ、「ハムレット」の戯曲の解釈というか、見せ方という点ではやっぱり、子どものためのシェイクスピアで見た「ハムレット」のほうが断然わたしの好みなんですよね。アレンジからして全然違うというのはもちろんそうなんですけど、あの作品の、父と子という関係、そして父を喪った息子3人、レアティーズ、フォーティンブラス、ハムレットそれぞれがお互いに力を及ぼし合うという構図がすごく好きなんです。だから今回の、滝の白糸や太陽2068でも使用していた、「ハムレット日本初演された頃」の下町の長屋をおもわせるセットで見せていくところや、フォーティンブラスの演技プランそのものをそれまでの芝居と対比させる効果みたいなものには、私には正直はまらなかったなあというところがありました。

しかし、と申し上げたい。それでもなお、やはりこの芝居には圧倒的なパワーがあり、観るものを掴んで離さぬ魅力がありました。誤解を恐れずに言えば、今日本で観られる最上の「ハムレット」であろうとすら思います。そう思わせてくれたのは、なんと言ってもタイトルロールを演じた藤原竜也と、それを力で支える共演者、そして彼らをこの高みまでもっていく演出家の力にほかなりません。

ハムレットを演じる藤原竜也の芝居を、万人がすばらしいと言うかどうかはわかりません。人によっては、大仰で、受け付けない、と思う人もいるかもしれません。ただ、その凄さを否定するのは難しいのではないでしょうか。あの芝居において、最初から最後まで舞台を支え続けるあの力。「神の言葉」ではなく、自分自身がどうあるべきかを考え、考え、考え抜くひとりの青年をここまで演じきることの凄み、それをあますところなく堪能させてもらえました。それを受ける平さんのクローディアス、鳳蘭さんのガートルードもまた、けっして押し負けないパワーで舞台のうえに存在していてさすがでした。

劇場に入るとまず目にあのセットが飛び込んでくるので、これは衣装も和で来るのかな、と思ったら完全に和というわけでもなく、しかしところどころ(劇中劇とか)に歌舞伎味をもたせていたのは海外公演を意識してのことなのかな。しかし、このセットだからこそ照明ってすげえな!っていうか、光と影の作り方でいかようにも見せられるんだなってことを実感しました。

あと私今回上手の席だったんですけどね、とあるシーンでほんっとに目の前にハムレットとホレイシオがいて、ああ〜芝居に集中したいのはやまやまなんですけど!目が!目が勝手にこっち見ちゃう!見ちゃうがな!と思いました。やにさがった顔だけはすまいと思うあまり多分能面化していたと思われます。だってくるくる巻き毛のたっちゃんと書生風の横田さんが目の前にいて平静でいられる人がいたらお目にかかりたい。俺には無理だ。

ハムレットがホレイシオに最後を託す、このまま最後を語るものがいなかったら、俺の名はどんなふうに伝わるだろう、だから天国へ行く幸福はしばしあきらめて、ことの真相を世に伝えてくれ。いや、ここで泣いたのは今まで山ほど「ハムレット」見てきたけれど初めてです。竜也くん自身は12年前のハムレットのことは意識していない、と雑誌のインタビューで語っていましたが、12年前の鮮烈なるハムレットが、またこうして歳月を経て圧倒的な力を見せている、その現場に立ち会うことができて幸福でした。