「バードマン」


かつてヒーロー映画に主演して一世を風靡したが、いまは見る影もなく落ちぶれてしまったひとりの俳優。かれは再起をかけてブロードウェイでの舞台を製作する。「落ち目の役者がイメージ脱却のためにアートな舞台に挑戦」。そんなレッテルを貼られかねない舞台で、脚本・演出・主演を務めるかつてのヒーロー。

すごく面白かったんですが、私が感じた「面白さ」はもしかしたら制作者の意図するところではないのかもしれないなーと思ったり。あらすじにもあるとおり、主人公はブロードウェイで「舞台」に立とうとしています。劇場の屋上から「オペラ座の怪人」がかかっているMajestic Theatreが見えるところからして、映画で使われているのはHelen Hayes Theatreでしょうか?その舞台裏をあますところなく、舐めるように進んでいくカメラ、その風景自体がまず舞台好きには大御馳走といってよく、つまるところ私の心をぐっとつかんだのはそういった「演劇」に絡んだ部分だったんですよね。

なにしろ、まあこれはそう作っているのでしょうが、劇中で上演されているカーヴァーの小説を舞台化した「愛について語る時に我々の語ること」が、どうみても面白そうじゃないんですよね(笑)いや舞台のシーンは断片しか出てきませんけど、あれをもし客席で見ていたら「ちょっと演出家そこ座れ」ってなったとおもう、絶対*1。いわゆる「有名人」が脚本・演出・主演で舞台やります、なんて聞いたらまず構えるし、カオス案件の予感…!とかいってこわいもの見たさが先に立つと思うもの。

だから、劇中に出てくるタイムズの記者、タビサがリーガンに言う台詞「この劇場ですばらしい舞台が上演されることを邪魔している」「酷評を書くわ、だってあなたが嫌いだから」「あなたは役者ですらない、ただの有名人よ」っていうあの一連の台詞を、何てひどいこと言うんだこの頑固ババア!とは言えない自分がいるわけです。あそこまで辛辣には思っていなくても、でも、そういう感情をまったく抱いたことがないかっつったらウソになる、それは(自分の好きな役者が大手事務所の舞台に駆り出されているときとか特に思う)。

でも、それと同じぐらい強く、マイクがタビサに言う「だが彼はすべてを賭けて明日あの舞台に立つ」という台詞、リーガンがタビサに言う「お前は何ひとつ生み出していない、なんにもだ!」という台詞にもシンパシーを覚えるんですよねえ。

ぜんぜんダメ人間なんだけど、「舞台の上でだけ本当の人生をいきていられる」っていうマイクにも強烈に惹かれるものがありました。っていうかエドワード・ノートンほんとすばらしい。サムとの「真実か挑戦か」のやりとりはすべからくいい!タビサはきっとマイクみたいな、舞台のうえでのたうち回る(比喩ですよ)役者がお好みなんだろうなーなんて思ったりして。

そんな肩入れをしつつも、映画の中で揶揄されまくる「ヒーロー映画」に今まさに血道をあげている自分もいるわけで、実名入りのあれやこれやにげらげらしつつ、我ながらなかなかによい案配でバランスがとれているのではないか…と思ったり。しかし、ヒーロー映画をあげつらっているだけじゃなくて、結局のところあの舞台を「スーパーリアリズム」とか評しちゃってるところからして、ブロードウェイ自体もあげつらわれているんじゃないかと思います。どうでもいいことですが、ステージドアから締め出されちゃって客席から登場したリーガンが、最後銃で撃つシーンをどう乗り切ったのか地味に気になります(笑)

そうそう、タイトルクレジットと、終始ドラムだけの音楽がめっちゃくちゃかっこよかった!!

*1:4人の会話からだんだんモノローグ、ピンスポ、テーマともいうべき台詞言って突然の暗転、とかセンス!ない!ってなるよ