「アドルフに告ぐ」

  • 春秋座 8列10番
  • 原作 手塚治虫 演出 栗山民也 脚本 木内宏昌

京都の春秋座、初めて行きました!京都造形芸術大学の中にある劇場。あんないい劇場が校内にある大学とかうらやましいじょ。

wikiを見ると原作のストーリーラインはそのまま押さえているようですね。ベルリンと神戸、二つの都市の三人のアドルフを軸に描いていく物語。

まず最初に正直なところを言うと、オープニングの歌っつーか群唱の部分で、そういう心構えを一切していなかったということもあり一気に気持ちが300メートルぐらい後方に引いてしまって、そこから気持ちを建て直すのに相当の時間を要したというところがあります。うーん、あれ、必要だったのかな。キャストそれぞれが目線を散らして群唱に入るって、相当な危険球だとおもうんだけども。それで「あっこういうテイストで行くんだね、なるほど」と姿勢を正すとそこからは普通の展開だったていう。

もともと私が栗山さんの演出があまり好みではないというのも多分にあると思いますが、ひとつ細かいところを言うと、病床の由季江を本多大佐が訪れるシーンで、一瞬だけ鶴見さんのナレーションになるところがあるんですよね。いや、そこをナレーションにする必要ある?と思う訳です。鶴見さんはこの作品の狂言回しのような役割を担っていることは観客は重々わかっているわけで、あの場面で本多大佐を目の前に彼が台詞として同じことを言っていても、観客にはちゃんとその構図が伝わると思うんだよなあ。

カウフマンは幼い頃からのユダヤ人の友人を守ってヒトラー・シューレに行かされることになる。その最初の選択、彼が信じた「友人を裏切らない」という正義が、いつしか形を変え、貌を変え、ついにはかつて守ったその友人のもっとも大切なものを根こそぎ奪うこととなる。カウフマンは「正義」の旗の下から一歩も動いていないはずだった。物語の終盤にカウフマンの言う台詞、そのときそのときの正義を信じていたらこんなところにきてしまった、自分は空っぽの怪物だ、と、そして観客を血走った目で舐め回すように見つめながら言う、「アドルフ、どこにいる」。正義の旗の下から一歩も動いていないつもりの、舞台のこちら側の心に石が投げかけられる。この場面はとてもよかった。

お目当てだった高橋洋さんも成河くんも、キャスト陣の仕事はとてもよかったなと思います。洋さんのヒトラー、あの独特のアジテーションのうまさを見せることにかなり成功していて、その役者としての押しの強さもふくめさすがだなあ、と感服。成河くんはなんといっても前述のシーンがとても印象的。パレスチナ解放戦線でのヘアスタイルのせいなのか、終盤ものすごく小林顕作さんに似て見えたけど、というか成河くんはいろんな人に似てると言われがちなひとでしたね…(笑)