「治天ノ君」劇団チョコレートケーキ

  • 伊丹AI HALL 全席自由
  • 脚本 古川健 演出 日澤雄介

第21回読売演劇大賞において、作品賞、優秀賞、男優賞、女優賞すべてで優秀賞に名前を残しており、作品が選考委員特別賞を受賞した「治天ノ君」。私はこの時初めてこの劇団名を知りました。ここまでの圧倒的な評価を、例年の受賞作と比較しても小規模といっていい上演だった作品が得るというのはあまり記憶にないですし、これは是非見てみたかったと思っていたので、満を持しての再演、しかも関西公演!本当にありがとうございますと飛びつかせて頂きました。

史実を基にしながら、そこに「あったかもしれない」物語を描いていくのがこの劇団の作風のひとつですが、この治天ノ君において描かれるあったかもしれない物語の舞台は「天皇」という存在。明治と昭和に挟まれた、大正というごく短い治世だった、その大正天皇の物語です。天皇は臣民から畏怖され、崇められ、空であり、この国を覆う大きな器でなければならない、その理念のもとに作られた強大な国家。その「強き父」の背中を仰ぎ見る息子の物語。

ルイージ・レナーリの「パードレ・ノーストロ」もまさに偉大な父を持った心弱い子どもを描いた大好きな作品ですが、あの舞台にも似た手触りを感じる舞台でした。

お恥ずかしながら、おそらくは多くの人に知られているのであろう、ここで描かれる「歴史的事実」すら、私には知らないことばかりでした。つい先頃、天皇の生前譲位が話題になり、それに纏わるニュースで「摂政」という言葉も漏れ聞こえてきましたが、摂政なんて、もはや日本史の中の話題でしかないと思っていたのに、私の生まれた時代である昭和天皇はまさにその摂政として、大正後期に公務についていたことも、私は初めて知りました。そして実のところ、明治という時代から我々はまだたった四代の天皇しか経ていないこと、そしてそれは歴史の大きな流れの中では一瞬といってもいい短さであることを考えずにはいられませんでした。

劇中で大隈重信の言う台詞が印象的です。天皇とは何か、そう問われて、かれはこう答えます。われわれは西洋の列強から我が国を守るために幕府を倒した。そのためには国民が仰ぎ見る存在が必要だった。我々にとって天皇とは国民に拝ませておくための道具だった。だが、拝ませておくのはいいが、我々が拝むようになってしまったら、それは恐ろしいことになる…。

身体も、心も弱く、父の期待に存分に答えられない嘉仁(大正天皇)。だが彼は彼なりに、天皇とは、この国とは、どうあるべきかを模索し続けます。遅々たる明治天皇が嘉仁にこう告げる場面。お前の息子は、裕仁はすばらしい天皇になる、あれはすばらしい器だ、裕仁が成長するまでその座に在るのがお前の責務だ…。吉野朔実さんの連作短編「いたいけな瞳」の中に、「レンタル家族」という一篇があって、そこにまさにこういった台詞があります。「俺の優秀な遺伝子はお前の息子に出るに違いない/お前の子供は優秀だ/お前の子供はきっと優秀だ/父には悪気なんかなくてそれが余計に私を傷つけた/親って残酷」。

物語は大正天皇の妻であった節子(さだこ)妃のモノローグを中心に構成され、大正天皇の生前と崩御後が行き交いますが、崩御後のドラマの描き方の冴えが素晴らしかったなあ。侍従武官がその思い出を語る中で、身体の自由が効かなくなった大正天皇が、軍艦行進曲を口ずさみながら歩行の練習をする天皇を思い起こす場面はこの舞台の白眉といってよく、時代に二度殺された天皇の切なさが胸に迫りました。

大正天皇、節子妃、それぞれを演じた西尾友樹さんと松本紀保さんは文句なしの好演でした。西尾さん、難しい役を、ほんとに素晴らしい…!紀保さんのあのにじみ出る「品」が作品の色合いを支えていたなあと思います。舞台作品としてのクオリティはもちろんですが、さらにそこからの知的好奇心を刺激される度合いがすさまじく、私たちが知っているようで知らなかったところに光を当てる作劇はまったく見事の一語に尽きます。過剰にセンチメンタルに描かない演出もとてもよかった。いい舞台でした。