「クレシダ」

タイトルからしシェイクスピア、トロイラスとクレシダのスピンオフ(ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ的な)かなーと勝手に思い、なんとなく、ま、今回は見送りで…と思っていたのですが、先に観劇した観劇仲間の皆様の絶賛に次ぐ絶賛ぶりに「そ、そんなに!?」とギリギリで飛び込みました。いやでもほんと、このパターンが一番ハズレがない!めっちゃくちゃよかったです!!

劇中で「死んで20年経っても戯曲が上演されているからシェイクスピアは良い作家なんじゃないか」という台詞があるので、舞台になっているのは1630年代、まさにイギリス・ルネサンス期のただ中と言える。そこでは声変わりも迎えぬ少年俳優が身売り同然に劇団に来る。彼らはその幼さで、芝居の中に出てくる女性も演じる。彼らは、自分たちが本当にその一時だけに咲く徒花のようなものだと知っている、知っているが、少年であるがゆえに、その焦燥とうまく付き合うことは難しい。

座付きの演技指導者であるジョン・シャンクは、養成所に居もしない少年たちを在籍させていることにして経費をかすめとっているが、それが会計畑の人間にバレ、訴え出て罰を受けるか、100ポンドの現金で帳消しにするかだと迫られる。

物語は養成所で1人取り残されたという、訛りのひどいスティーヴンという少年が劇団に飛び込んでくるところから始まります。喋り方も芝居もてんでひどく、まるでモノにならないと皆に思われる少年。けれど、実は彼はその時から「嘘を本当に見せる」ことに長けていた。借金返済の策に窮したシャンクは、この「モノにならない」少年を突貫工事で舞台に立たせ、高値の買い手をつけようと彼に稽古をつけることになります。

シャンクを演じる平幹二朗さんが、スティーヴンを演じる浅利陽介くんに、文字通りその一挙手一投足に稽古をつけていくさまは、まさにこの舞台の白眉です。ただ手を上げるな、今自分の中からあふれ出たように台詞を言え、もっと高く、声を出せ、出し過ぎるな…そしてそれを受けてぐっ、ぐっと階段を上がるように彼の演技が「客に見せられるもの」になっていくのが手に取るようにわかる。こんな演劇的興奮があるでしょうか!本に書いてある演技が古いんじゃない、その理屈をわかるものがいなくなったから古くなっているだけだ、とシャンクは言います。彼がクレシダという大役を演じるスティーヴンに言う言葉。いいか、お前が台詞を間違えたら芝居を止める。女の子らしく見せようとしても止める、その羅列は延々と続きます。でも、その果てにあるのが演技であり、芝居なのだ。それを乗り越えたものだけが、観客に「芝居を見せる」ことをゆるされるのだ…

クレシダを演じたスティーヴンは、その「リアルさ」ゆえに観客の大喝采を浴びますが、けれどそれはシャンクが信じてきた、信じて実践してきた芝居をぶち壊す、いや、その壁を越えていくものでした。シャンクは激怒しますが、けれど彼は心の中でわかっている、スティーヴンの見せた芝居がいかに素晴らしいか、そしてこれから観客はそういう芝居を求めていくだろうということが。

ファーストシーンとラストシーンは雲の上でまどろむシャンクの姿で、彼は自分が作ってきた芝居と、そしてその未来に思いを馳せます。観客は家に帰って見られるものを観に劇場に来ているんじゃない、どこかデフォルメされた非日常、少年が女性を演じるという部分が見え隠れすることこそがその役者の魅力、チャームだと彼は信じていた。でも、「本当にそう見えるならその方がいいだろうと思った」というスティーヴンの言葉通り、デフォルメされた女性ではない、本物の女性が、この舞台にいつか、そう遠くない未来に、上がってくることになるだろう。「さあ、ご婦人方。ようこそ、舞台へ!」女性が女性として、女優として存在できなかった時代からの、解放を宣言するこの台詞に、本当に涙がとまりませんでした。

会計畑のリチャードをやっていたのは高橋洋さんで、シャンクの今際の際を彼が看取るんだけど、そこで手を握りながら昔の話をするシーンがある。リチャードはかつて自分が少年俳優として名を馳せていたころの、一番うれしかった思い出話をする。そこでほんのすこしだけ、リチャードが一節演じてみせるのだ。ここの洋さんの芝居が、ほんっっとうに素晴らしい!かつては名を馳せたというその役としての一瞬のきらめきを、あの一節にすべて注ぎ込んでみせるその力量!でもって、見送られるのが蜷川幸雄の盟友と言っていい平さんで、それを洋さんが、というのも、あの構図と現実が重なるような気もしてたまらない気持ちになった。

しかし、それにしても、平幹二朗のすごさよ。御年82歳。ウソだろ!?と言いたくもなるわ。1幕のラスト、戦うことはできないが、戦う芝居はできる!と剣を振りかざし、「馬をくれ、馬を!代わりに我が王国をくれてやる!」ヨッ!待ってました!!!って、こういうときに言うんじゃないの!?ってぐらいの高揚感あったし、私の中で「ハイ、チケット代のもと取りました〜〜〜」ってゴングが聞こえたもの。あのクレシダの何ということもない台詞が立ち上がっていくさま、そうか…シェイクスピアをつまんない俳優がやると倍つまんないのはこういう立ち上げがないからなのか…とか思ったし、これを受ける芝居ができる浅利くんはほんと一生の財産だよなこれ、と思いました。あれを受けて立てるだけ彼だって相当なもんだけどさ!

この芝居のジョン・シャンクという役を出来てこそ役者だ、とか言ってたらもう大抵の役者が役者じゃないことになってしまうのでそんなことは言いませんが、でも仮にも自分は役者でございと名乗るなら、この高みがあることは知ろうぜ、と思う。自分が芝居を好きでよかったと心から思わせてくれる1本でした。