「はたらくおとこ」阿佐ヶ谷スパイダース

初演の感想こちら。阿佐スパ名義に限らず、長塚さんの手がけた中で一番好きな作品です。どれぐらい好きって、ちょうど10年前に選んだ「この10年のこの10本」で選んでいるくらい。男性陣は初演キャストが全員顔をそろえるという奇跡の再演。東北のとある町で、「しっぶい林檎」を作ろうと試みる一人の男と、それに引っ張られる男たちの物語です。

1回しか見ていないのに、わりと鮮明に覚えてる部分がたくさんありました。展開をわかったうえで見ているので、今回は個人的に夏目と茅ヶ崎に(成志さんとまことさんに)焦点を当てて見てみた感じです。でもって、そうしてみると、本当にこの脚本は長塚さんのロマンティストなところが非常によく出ている脚本だよなあと改めて思いました。終盤どんどんえぐみを増していく展開に引っ張られながらも、基本的にこれは苦しみを後生大事に抱きかかえる一人の男の話であり、一緒に苦しんでやることしかできない男の話であるわけです。

でもって、これは初演の時に人さまの感想で目にしたと記憶してるんだけど、しかも今回キャスト表が配布されてないので意図としてはどうかわからないんだけど、中山さんと伊達さんの兄弟、弟はずっと名前の「愛」で呼ばれ、兄は名字の「前田」で呼ばれるじゃないですか。でも、パンフレットには(初演は確かキャスト表が配られたと思う)中山さんの役名もフルネームで書いてあるんですよね。前田望。この役名だけ、劇中で一回も名前が呼ばれない。書いてあるのに、呼ばれない。佐藤家の兄弟は名前で呼ばれるし、満寿夫も呼ばれる。いや、夏目と茅ヶ崎だって名字だけじゃん、と言いたくなるところですが、この二人は「名字しか」書かれてないんです。望だけが、最後まで、その名を呼ばれない。のぞみだけが。これはまるでパンドラの箱のようにも思えるし(すべての災厄が飛び出していくけれど、最後に希望だけが…という)、言葉には出されないけれど、そこに必ずあるもの、としてとらえることもできるし、だからねえ、ほんとに長塚さんて根っからのロマンティストだなあ!と思わずにはいられないわけですよ!

「ヤバいもの」をめぐる作劇と演出と役者の芝居が強烈なので、時世にコミットした脚本という印象に傾きがちだけれど、実のところそういう骨格ではないんだよなあというのも改めて実感したところでした。ただ、初演の時には、「ヤバさ」を観客に示す基準として「サリンよりもヤバい」という指標が示されていたわけですが、今はもうそれは必要ない。「そういうもの」をたやすく観客が想起することができて、しかもその結果に恐らくそれほど差異がない。そこは時間の流れを如実に感じたところでもあるし、今私たちがいる場所、のことを考えずにはいられないところでもありました。

しかし、あの終盤、捨ても残しもしない、と宣言して茅ヶ崎が取る行動、あそこに至るまでの芝居の作り方に隙がないからこそでもあるけれど、観客が思わず息をのむ、口を押える、息を止めてしまう…という反応が引き起こされるのが、演劇の面白さでもありこわさでもあり。成志さん、ほんとに終盤どんどん顔が蒼白になっていってて、すさまじいなと思いましたし、これは夏目の立場から繰り返しこの芝居を、この生を生きるのは並大抵のことじゃないだろうなとも思いました。

中村まこと池田成志、松村武のお三方のまさに「はたらくおとこ」ぶり、ますます磨きがかかって素晴らしいの一語に尽きます。会話のテンポ、間のひとつひとつ、陰惨な場面を軽やかに見せ、軽いやり取りの中で剛速球を投げ込んでくる。いつまでもどうしようもないやりとりを見ていたかったです。長塚さんはまことさんにほんっと色気のある役を振る!松村さんは初演時よりも貫禄と凄みを増していて、このパワーバランスが絶妙だったです。イケテツさんに富岡さん、そして中山&伊達&長塚の阿佐スパメンバー、まさに阿佐スパ常連の顔ぶれで、でも「あー懐かしいな」なんて感慨をまったく感じさせず、「相変わらずすさまじいな!」とこちらの心をドスドス刺してくる芝居でした。12年ぶりの再演感謝。12年物のしっぶい林檎の味、忘れません。