「キネマと恋人」KERA・MAP

映画が唯一の娯楽だった時代の、日本のどこかの島の町を描く、ケラさんのロマンチック・コメディ。東京公演での評判も上々で、楽しみにしておりました!

いろいろと苦しい生活のなかで、唯一「活動写真」を見ることだけを楽しみにしているハルコ。彼女はいわゆる2枚目スターよりも、その脇できらっと光る俳優を見つけてひいきにするのが常だった。どうしようもない現実に打ちのめされたハルコは今日も映画館に足を運ぶが、いつもと同じ場面のはずが今日に限って映画の中の憧れの人が自分に話しかけてくる…!

カイロの紫のバラ」を下敷きにした作品で、日本の、どこかにあるかもしれない島を舞台にしています。その、どこかにありそうな方言で交わされるやりとり、よかったですねえ。あの方言で交わされるからこそ絶妙のおかしさ、ほのぼのした感じ、そして何とも言えない切なさがあったような気がします。

私個人は、スクリーンの中にせよ、舞台の上にせよ、その「中の人」にせよ、そういった誰かに熱をあげるタイプというよりは、そこで描かれる物語のほうにより強く引っ張られるたちだということもあって、いちばんぐっと来たのはハルコとミチルが幼い時を思い出すシーンで、おねえちゃんは強かった、というミチルに、ハルコが「私には映画があったから」と答える場面でした。

結局のところ、絵に描いたようなハッピーエンドとはならないわけだけれど、でも「今まではひとりになるのが怖さに思いきれなかった」というハルコさんが一歩を踏み出せたことを思うと、そんなに落ち込まなくても大丈夫だよ、とハルコさんに声をかけたくなってしまう私もいるのだった。というか、いっときでも、物語があるから自分は生きていられる、と思ったことのある人間なら、その「もう一つの世界」を持つことの愉悦と、そしてそれと背中合わせの痛みを知っているのじゃないかと思うし、それはハルコさんもきっと同じで、そして結局、やっぱりその愉悦と痛みを感じながら物語に耽溺してしまうんだろうと思う。何度でも。

惜しむらくは、東京公演のコヤはシアタートラムで、当然のことながら、そこで見せることを前提に組まれた演出なので、ドラマシティはサイズ感的にはそぐわない部分もあったかなあと思います。もし東京もドラマシティサイズのコヤだったら、終盤の映像を使ったやりとりはもっと違った演出になったんじゃないかと思う。それもこれもな!大阪に近鉄小劇場があれば万事解決じゃったんじゃ!(いつの話をしているのか)

ハルコを演じた緒川たまきさん、あの美女が(真の意味で美しいひとですよねえ)ちょっと愚鈍というか、冴えない女をやっていて、それがまたはまっているのがすごい。あの姿勢といい、喋り方といい、まさにハルコでしかなかった。あの、映画のワンシーンを演じて見せるときとの落差ったら!ミチルをやったともさかりえさん、すっごくよかった。彼女が出た舞台のなかで一番好きかも、と思ったら私10年前のヴァージニア・ウルフの感想でもそう書いてたね。どっちもケラさんの演出だ!いや、なんかドラマとかだと重めの役ばかり拝見するけど、深刻になりすぎないというか、かわいそうになりすぎない明るさがすごくよかったです。嵐山進に言い寄るシーンのあっけらかんとした「本心じゃなか!」、笑いました。

映画の中のひたすらまっすぐな青年をやる妻夫木くんも、現実世界のもどかしさも抱えつつの妻夫木くんもどちらもキュートで(私の好みは現実世界のほうだ!)(聞いてない)、ハルコさんこれはまさに盆と正月よなあ…と俗な感想も持ちましたし、脚本家を演じた村岡さんが、スター様に「映画の中から間坂寅蔵をどうにか消してくれ」と頼まれても「映画の中の月之輪半次郎は間坂寅蔵のことが大好きなの。だから彼が死ぬ脚本なんて書けない」と突っぱねるところもよかったです。

それにしても、オープニングのプロジェクションマッピングったら!もう芸術の域。カッコイイ芸術。もはや他の追随をまったくゆるしませんね。