「子供の事情」

錚々たる顔ぶれを集めて、「さて今回は全員に10歳を演じてもらいます」ときたとき、えーすごーいめっちゃおもしろそうーというよりも、「お、おう…」みたいなテンションで迎えてしまった私だ。いやいやそんな10歳て…まさかと思うけどそういう(子どもに見える)芝居したりしないよね!?と一抹の不安がありましたけれど、さすがに三谷さんそんな三流の演出家じゃなかった。ごめんごめん。全員が10歳。大人はいない。大人と大人。子供と子供。その関係性だけをとりあげれば、実のところそんなに変わらないものなのかもしれない。

舞台は世田谷にある小学校で、そこで放課後いつもうだうだと居残っている生徒を中心に描かれる。登場人物のうち1人は「どうも、三谷幸喜です」と自己紹介し、これが自分の10歳の頃の話であるといって狂言回しの役割を果たしていく。登場人物は皆、狂言回しである彼(ホジョリン)のつけたあだ名で呼び合う。物語はその世界に、ひとりの転校生がやってくるところから始まる。

登場人物は全部で10人、その中でのパワーバランスを描く、全員に役割とスポットライトを与え、「大人が10歳を演じる」ことで普通の台詞をぐっと笑えるものに変え、物語を引っ張る謎と絶妙のミスリードを仕掛けつつ、最後にカタルシスを用意する…という、手練れじゃのう〜〜〜〜!!!!と感服仕る構成でした。10歳の世界の中でもこの中で誰が力を持ち、誰に自分はつくべきか、どんな距離を保つべきか、というような探り合いはあり、そのパワーゲームみたいなものをあったあったこういう感じ…とその種のパワーゲームに敗れがちだった自分の小学校時代を思い出して胸が痛くなったりもしつつ。しかし悪ガキにもちゃんと「一理」があるシーンを割くところとか、延々と誰かの言うことを繰り返してばかりいる「リピート」が、一番肝心なところで自分の意思をつらぬくところとかも、うなるほどうまい。

物語を序盤からうすーーくひっぱる「もうひとりの有名人」をめぐるミスリードに見事に引っかかった私ですが、ひっかかったこと自体が気持ちよく感じられるさりげなさで舌を巻きました。あそこでそれを解説するかしないかは好みの分かれそうなところですが、そこはまあ誤解のないようにっていう配慮なのかな。

こういう、10人から12人ぐらいの舞台で、2時間強の時間の中でそれぞれのキャラクターを立たせて、ストーリーテリングと笑いで引っ張る、というのは三谷さんが劇団時代に構築したスタイルというか、がぜん強みを発揮する舞台設定で、ひさびさにTSB時代のテイストを思い出したりしました。

そのTSB時代を思わせる舞台の中で、「転校生」という異分子として現れるのが大泉洋さん演じる「ジョー」なのですが、いやね、私大泉さんがベッジ・パードンで三谷さんの舞台に出たとき、三谷脚本との親和性の高さに驚愕したし、絶対また組むだろうなと思ったらその通りだったし、「笑の大学」の椿を近藤芳正さんから引き継ぐのは大泉さんしかいない!って勝手に思ってたんですよ。で今回のこの役。すべてをひっくり返す、まぜっかえす異分子。まさに三谷さんが劇団時代に近藤さんに多く託した役柄で、しかも、ホジョリンが彼につけるあだ名がチンゲさんだもの。おかえりなさいーーーって気持ちになっちゃうし、泣き笑わずにいられようかって話ですよ!

常に悪だくみしか考えていないゴータマ役の小池栄子さん、いやーおれの栄子はほんとうにいつ見てもすばらしい。天海さんの「アニキ」(こんなに違和感ないあだ名あるだろうか)はさすがの安定感存在感、そしてボス感。青木さやかさんの「ソーリ」もよかった、青木さやかさん、声も通るし舞台で見てて安心感ある。浅野さん、春海さん、小手さんと手練れをそろえていて間違いないって感じだし、ホジョリン役の林遣都くんもすごくよかったです。吉田羊さんが目から鼻に抜けない感じの役ってなんだか珍しい気がするけどしっかりはまっていたし、子役スターをやった伊藤蘭さん、もう子役じゃないのに(当たり前)大人びた子役のやる芝居、が絶妙すぎました。

新国立中劇場といえばあの凄まじい舞台の奥行きですが、あれを活用できる人ってあんまりいない。でも今回は放課後のいつもの面々が、くだらない話をしている風景がずっとずっと遠ざかる、それが自分たちの子ども時代でもあるようで、夏休みが終わるときのあの独特の切なさを感じさせる、すばらしい演出になっていたと思います。また、あの距離をカーテンコールのために駆けてもどってくるっていうのがまたそれだけで劇的っていうね!

劇中歌での放課後居残り組への「早く帰れよ」がカーテンコールでそのまま歌われて、カテコをさっさと切り上げる一助になっているのもすばらしかった。いやー当初の日程が崩れチケット交換になんとかこぎつけて観ることが出来ましたが、あきらめなくてよかった!と思いましたよ!