「君の名前で僕を呼んで」

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ルカ・グァダニーノ監督。アーミー・ハマーさんご出演ということでサンダンス映画祭でプレミアが行われた頃から気にしておりましたが、ティモシー・シャラメくんが賞レースを席巻したりして話題となり無事日本公開の運びに。よかったよかった。ジェームズ・アイヴォリーが脚色賞でオスカーも獲りましたね。

自分でも思いのほかというかとあるシーンでどうしようもなく泣けて泣けて、自分でもびっくりしました。教養ある両親に育てられた少年(少年と青年の端境というべきか)エリオは、父親が招待した博士課程に在籍中の学生オリヴァーと出会う。6週間の滞在期間の間に起こるふたりの感情のゆれ、ときめき、おそれ、そういったものを北イタリアの美しい風景が取り囲む。果樹園、秘密の泉、桃…主演のふたりのビジュアル力は勿論、画面の隅々まで美しいもので構成されている映画です。いやほんとにどこを切り取っても美しい。

小径の影でオリヴァーの姿をずっと探してしまうエリオとか、壁一枚向こうの相手の気配に耳をそばだてるところとか、ずっと腕時計を見てしまうあのなんともいえない、手垢がついた表現ではあるけれど「初恋のときめき」としかいいようのないいじらしさとせつなさもすごく胸に響きましたが、個人的にはこの映画でもっとも胸打たれたのは、オリヴァーが去ったあとの父と子の対話の場面です。マイケル・スタールバーグほんっとにすばらしい。少年から青年に変化する挟間での、どうしようもなく焦がれてしまう思い。若いがゆえにコントロールが効かず、でも若いがゆえにおそれてもいる。誰でもおぼえがあるだろうけれど、あの青春期の情熱には常にこれがほんものの気持ちなのかどうかというおそれがつきまとっていて、だからこそ飛べないものもおり、だからこそ目をつぶって飛んでしまうものもいるんだと思う。

心は衰える、と父親はエリオに語る。お前がオリヴァーとの出会いを持てたのは幸運だった、と。それは二度と戻ってこない情熱であること、そして自分はその情熱を叶えることはできなかった、何かがそれを阻んだと。もちろん、誰しもがあの青春期の熱情を共有できるものではなく、できなかったからこそそのあとの人生を豊かにすることだってあるでしょうが、しかし、その熱情があの青春の一瞬でなければ得られないのもまた真実なんだと思う。そのことを静かにエリオに語り掛けるシーンでどうしようもなく涙がこぼれました。エリオにとって、喪失を悲劇にせず、ただ喪失として受け止めること、自分の身におきたことをきちんと言語化できるメンター(父)がいること、それは「父にばれたら矯正施設に入れられる」とオリヴァーが語るような時代において、なんて貴重なことだろうかと思った。

アミハマさんの足が長すぎてあんな自転車の乗り方降り方初めて見た…とかティモシーくんのまつげ…まじ…とか、あと桃のシーンはさすがにエロすぎてひいいええええええってなった。いやもうたぶん赤面してたなわし…。ダンスのシーンはアミハマさんが無音で踊らされてもうやだー!ってなったエピソードを思い出してふふっと笑ってしまいましたごめんねアミハマさん。きみの名前で僕を呼んで、原題(CALL ME BY YOUR NAME)そのままですが、このシーンもよかったね。愛しさをこめて自分の名で相手を呼ぶこと、たぶん一気に自分と相手の距離を縮めてしまうような気がする。だからこそあの最後の電話のシーンでそれを繰り返すエリオが切ないんだけどさ!あのエンドクレジットのなかでずっと暖炉を見つめるエリオ、穂村さんの短歌をちょっと思い出したりして。

呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」とあなたは教えてくれる

恋のせつなさと同時に喪失の美しさも掬い取った美しい映画でした。堪能。